天体切創


「あれぇ~?悟、あれどこやったの?」

「あれって何?」
私の部屋のソファーに居座り、携帯を見つめながらだらける様は、ここの家主かと見紛う。
少し位こちらを向いてくれてもいいのに、なんて思っても仕方がない。主語がない私が悪いのだ。
「飴だよー!この前硝子ちゃんから貰ったやつ」
「それって1ヶ月も前に食べ尽くしてたじゃん」
「同じやつを手に入れたの」
お気に入りなのに……、そう気を落としていると、ふと顔をあげた悟が、目の前のテレビを見つめて、あー……と声をあげだした。
「確かそれあそこじゃない?」
テレビの下のローボードを指差し、名探偵と言わんばかりの顔を向けられる。
言われればそうだったかもと思い、右端の引き出しを開けると、目当ての容器が転がり出てきた。
流石名探偵!と悟を片手で持て囃して、早速ひとつを口にコロン。
「ふふふ、幸せの味」
にこにこと笑顔が浮かんでくるのに比例して、悟は「太るよ」なんて言ってくる。
「さっきは教えてくれたのに、次はそうやって責めてくるの?」
「最近食べすぎじゃない?あんまり外出てないし、豚になる」
ニヤリと悪戯っ子の顔で笑われては、少し応酬しそうになるが、ここはグッと堪える。
ダメダメ、大人にならなければ。
「いいんですよ~飴位じゃ私は変わりません!」
そっぽを向いた私をみて、悟はお手上げとてをあげつつ、べっと舌まで出してきた。
その手には乗らないんだからね。
そんな思いを込めてチラリと目線を送ると、悟は知らないぞと言わんばかりに、また携帯に目線を戻してしまった。

そうやって各々がだらりと過ごして時間が過ぎていた折、インターフォンが鳴る。
机の上に出していた飴の瓶は急いで棚の上に、身なりを整えるために鏡の前で髪を整えた。
最近めっきり悟以外と会っていないため、誰だろうかと思いながらインターフォンの画面を覗き込むと、そこには久しぶりの級友の姿があるではないか。
扉を開けて、玄関まで来てもらい、二度目のインターフォンを合図に直ぐに招き入れた。
「硝子ちゃん久しぶり」
「久しぶり、どうしてるか気になって、急だけど様子見に来た」
挨拶もそこそこに、部屋に入った硝子ちゃんは此方をじっと見つめている。
「少し顔色が悪いな」
「そう?でも最近は調子いいよ」
「でも、貧血気味に見える」
「そうかな?」
そんな会話をしながら、部屋へ招き入れた。
直ぐにお茶を用意するからと、適当に室内で寛いでもらうように伝えて、食器棚からデザイン違いのマグカップを3つ取り出す。一人暮らしとはこんなものなので、仕方が無いのだと言い訳をしながら、ティーポットに茶葉とお湯を入れた。
そういえば、悟が居る事を伝えていなかったなと思いながらも、きっと硝子ちゃんならわかっているし、今更だろうと目の前の廬しているお茶に集中し直し、先程スタートさせたタイマーの表示を見つめる。
ここで、悟にはコーヒーだったか……と思うが、どうせコーヒーも紅茶も砂糖をたくさん入れた甘い液体を作るのだしと思考を切り替え、残りの時間をいい匂いと共に楽しんでいると、ピピピという軽やかな電子音が響く。
「お待たせしました」
お盆にのせた琥珀色の液体を零さないよう、ゆっくりと運びながら部屋に入る。そうして、そっと注意深く机に置くと、それを見た目の前の硝子ちゃんは、何故だか少し眉を歪めた。
「ごめん、紅茶苦手だった?」
確かに彼女もコーヒーの方が似合う。ついつい気分で紅茶を選んでしまったが、愚策であったようだ。
素直に謝ると、それを受けた彼女は否と返し、先程の表情はどこへやら、お盆の上にあるコップを一つ手に取ってくれる。
「3つもいらないだろうと思ってな」
「え?でもほら、悟も飲むだろうし、必要でしょ?」
「……あぁ、そうだな」
硝子ちゃんは、何処か考える様にしてから、手元のコップを見るともなく見つめた。先程の反応もそうだが、なんだか今日の硝子ちゃんはどことなく”変”だ。
久しぶりに会ったからそう思うのだろうか。思案したが、よくわからず、思考を投げ出すようにして自分も手元に視線を送る。
視線の先といえば、いい香りがふわりと立ち込めるが、同時に立ち昇る湯気がもやもやとした気持ちを表しているようでやるかたない。熱を冷ますふりをして、息を吹きかけてそのもやもやを晴らした気分だけを味わう。

その後も、硝子ちゃんは当たり障りのない事を言いながら少し話して、そろそろ帰ろうかという時。立ち上がった彼女が、棚の上を見て視線を止めた。尋ねてくる前に食べていた飴の瓶を置いた方向である。
「お前……これ、どうしたんだ」
「え?あ、それ?前に硝子ちゃんに貰って良かったから、自分でも買ったの!」
硝子ちゃんの顔が少しずつ怖いものになってくる。何かいけないことでもしただろうか?
咎めるようなその視線が、私の心の淵をざわつかせて、如何にも目線を下に逸らしてしまう。
「私が渡した分はもう全部なくなったのか……?」
「1ヶ月前にね、すぐ無くなっちゃった」
戯けたようにいう私に反比例して、彼女の顔は強ばっていく。
何をそこまで怒るのだろうか?私にはさっぱりわからない。
「あれは、未だ、後2週間はもつ筈だった量だぞ」
「美味しくって、ついつい食べすぎちゃうの」
「駄目だ名前、ちゃんと量は守れって言っただろ」
「もー、硝子ちゃんまで悟みたいなこという」
先程の悟を思い出して、皆して私を責めてくる!と拗ねる様に言うと、尚更強張った表情で硝子ちゃんがこちらに近づいてきた。
「名前、名前聞いてくれ、ちょっと私と外に出よう」
「何?お出掛け?」
「……そうだよ、だから行こう」
静かに手を取る友人に、何か只ならぬものを感じて、此方も神妙に頷くほかない。
こんな硝子ちゃんは初めてみた。これ程までに心配をしてくれているのであれば着いていこうと考えたのである。
そう思って頷いた私を確認した彼女は、くるりと方向を変えて、棚に近づいた。
「それと、これは私が預からせて貰う」
「ちょっと!止めて、なにするの!?これは私のなんだから!」
飴の瓶をさっと取って、鞄に仕舞おうとする仕草に、焦りが芽生えて取り返した。他人のモノを勝手に盗るような人ではなかったはずだが、そんな事よりも今は飴を持っていかれないようにしないと。
たまに、コレを食べないと落ち着かない時があるのだから。
そうだ、先程までいた悟はどこだろうか?悟に説明してこの場を納めてもらおう。そう思って辺りを見回すが、悟が見当たらない。
「悟、ねぇ悟きて!硝子ちゃんが!」
「名前!!名前頼む……!五条は、もう居ないから」
「何、言ってるの?さっきまでそこに……」
「ちゃんと、説明する。だから、少し外に出よう」
必死な硝子ちゃんに折れる形で、紡ごうとした言葉を胸にしまい、ゆっくりと手の中の入れ物を渡す。
少しほっとしたような顔の硝子ちゃんに、何故だか罪悪感が込み上げてきた。
一度部屋の方を振り返ったが、先程までいた悟はもういない。何処へ行ったのか……。
しかし、目の前の彼女の態度を見るに、急を要するようなので、誰に言うでもなく行ってきますと声を残して玄関を出る。
久々の外の日差しに目がくらみながらも、ゆっくりと歩を進めた。
辺りを見渡していた目が、ようやく目の前を歩く硝子ちゃんを見た時には、彼女の背中は、何処か悲し気なものであった。

戸惑いの中歩いていると、ポツリと声が聞こえる。
「この薬には、一定量飲むと幻覚作用が表れる」
「……げんかく」
げんかく、ゲンカク、幻覚……逡巡して思い至る。
しかし、薬とは一体何の話だろうか?
私が食べていたのは飴であって、硝子ちゃんから前に貰ったものだから……前に……前……まえ……コレを貰ったきっかけって、なんだっけ。


某所で、獄門彊の青い眼が瞬いた。