幾千夜の歩行

幾千夜の歩行




あれから、私は変わらず苗字家の自室、その結界の中で過ごしている。
というのも、元より私のような者は、結界からは出ずに、平安時代の通い婚宛ら夫となる方が当家へ定期的に訪れるのが普通なのだ。婚姻自体が政略結婚であるし、世継ぎが生まれればそれでよいというところだろう。どちらにしても、この体で外には出られないのだから納得である。
これについて、悟さんは不満はない様で、結婚前より続いている定期的な訪問の間隔が少しだけ狭くなった程度であった。彼にとっては手間だろうから申し訳なく思う。
そんなこんなで、詰まる所、私たち夫婦の生活は婚前から変わっていないと言っても差し支えない。

変わっていない事と言えば、関係性も同じことが言えるだろう。
初夜というものは特になく、式が終われば其々の家に帰ったので何事もなかった。しかし、婚姻を結んだ後、初めて悟さんが訪れた時である。歴代がそうであったように、私の部屋には、それまで悟さんが来た時にはなかった布団が用意された。言わずもがなのため覚悟はしていたが、勿論緊張はしたのだ。だが、それを前にした悟さんは、予想に反する行動に出る。
「体調悪かった?具合が悪いなら直ぐに帰るから早く寝な」
私の体調を気遣い、以前と同じく顔色を確認すると、布団へと誘導し寝かしつけにかかった。この行動が本心からで無い場合は、案に断られたということであるし、そうでない場合も此方が嘘をついたような罪悪感で、遣る方無いことこの上なかった。その為、あれ以来布団を用意することはやめて、以前と同様に少しの間お話をするだけに留まっている。

そうして、私から言い出せぬまま、早3ヶ月は過ぎていた。
その間にも、悟さんは以前にも増して3日程の間隔で訪れてくれていたし、長期の任務のあともお土産を引き連れて必ず来訪があった。けれども、彼は必ずその日の内に帰宅をしてしまう。
正直、焦りがないと言えば嘘だ。加えて、自分には魅力がないのだろうかとも思えてきた。最悪魅力は無くても良いのだが、私自身の責務として、この状況に焦燥感を覚えるのは致し方ないといえよう。子孫を残すことが一番であると教えられている手前、相手が決まったのであれば直ぐにでもと思うのは、自他共にであると言えるのだ。悲しいかな、相手にだけはその気が無いようであるが。
さりとて、悟さんが私のことを蔑ろにしているかと問われるとその逆で、以前より更に距離が近くなったように思える節がある。私を気遣う言動が特に多いと感じるのだ。今日、4日ぶりに会えるので、流石に真意を聞かねばとは思っているが……さて、どうして切り出そうかと頭を抱えた。

「最近体調良さそうだね」
今でも続いている体調確認を終え、ゆっくりと目を開けると、満足そうに微笑む悟さんが目の前にいた。
「この前頂いたかき氷機のお陰ですかね?」
先日、「暑くなってきたからかき氷機と硝子連れてきた!」といって現れた悟さんに驚きながらも、皆でかき氷を作って食べたのだ。硝子さんは巻き込まれていて大変そうであったが、久々に会えて嬉しかった。それも相まってか楽しくなり、思い出すかのようにたまに作っては、冴達と食べるようになっている。
「そう?なら良かった」
どうだと言わんばかりの顔に、幼さが見え隠れして笑い声が漏れてしまった。そうした私を、彼は怒ることなく笑って見つめてくるのだから丸くなったものだと感じる。昔の彼ならば拗ねていただろう。ところが、今の彼は意にも介さず後ろ手から箱を取り出して見せた。
「これ、名前が好きかなって買ってきたから食べてみて」
「私を太らせるつもりですか?」
箱の中には、上生菓子が二つほど季節の花を咲かせていた。
「他にも何か欲しい物あったらすぐ買ってくるからね」
私の呆れた笑い声などはどこ吹く風で、悟さんは上機嫌に答えてくる。会話になっていないが、こういう時の悟さんには慣れてきたので一旦部屋の外に居る冴を呼ぶ。頂いたお茶請けに合うお茶が必要だもの。

ゆっくりと温かいお茶で喉を潤しながら、外の鹿威しの音を聞く。お互い一息ついて、一瞬の間が生まれた。そろそろ頃合いだろうかと、ありもしない時計を探す様に視線を彷徨わせ、観念するように手元を見た。まだ、お茶請けは四分の一程残っていた。
「……あの、悟さん」
「ん?」
「少し、お聞きしたいことがあるんですが」
「どーぞどーぞ、何でも答えるよ」
気楽な様子に、此方が躊躇してしまう。対照的に、悟さんは頬杖を突くほどに余裕な態度なのだから。
「その、悟さんは当家の結婚……夫婦のやり取りをご存知でしょうか?」
先程のポーズはそのままに、虚を突かれたような顔をした悟さんは、一転して黙り込んでしまった。よかった、一応意図は伝わったようである。ほっと胸をなでおろす私を他所に、彼は少し伺うようにこちらを見据えた。
「やり取りって……つまり、セックスのこと言ってる?」
直接的な表現に悟さんらしさを感じると同時に、羞恥心が湧いてくる。余り、こういった話題には慣れていないので許してほしい。悟さんは……慣れて居そうではあるが。今は余り顔を見る事ができないので、相手の足元に目線を落として答える。
「えっと、端的に言えばそうですね」
「この家に来た時にしろってことが言いたい訳ね?」
「そう……ですね」
そう答え、視線を元に戻すと、そこには少しむすっとした顔をした彼がいた。何処がどう地雷であったか分からないが、お気に召さない答えだったらしい。私の事は好きだけれど、閨を共にすることはしたくないということであろうか。
「名前はさ、好きでもない男に抱かれたい?」
少し考えこんでいる間に、目前にはいつの間にか移動していたであろう悟さんがいた。思いの外近い場所からの声と質問内容に、暫し固まってしまう。
「……」
「抱かれたくないでしょ」
「しかし、務めですから」
にやり、的を射たりといった顔で此方を見つめてくる瞳に、気まずさがある。悟さんの事は嫌いではないし、そもそも政略結婚相手がどのような人であれ、覚悟はあった……はずであった。悟さんの優しさを享受しすぎた故か、はたまた数少ない友人相手故か、戸惑いがあるのは確かだ。そうした私の心境はしかし、彼に気づかれてしまっているようである。
「務めとかそういうの、どうでもいいんだよね。そんな事より、僕は、自分が好きな女の子が嫌がるのわかってて手籠めにしたくないって言ってんの」
「その気持ちは、大変嬉しく思うのですが」
言いかけた私の言葉を止める様に、近くにあった顔が首元に埋まる。
抱き込まれていると気付いた時には、悟さんの匂い――香水だろうか――が鼻孔をくすぐっていた。
「グダグダ言うのやめてよ、これまでの我慢が台無しになる」
ぐっと回されている腕に力が籠ったのがわかる。
「好きだからずっと我慢してるって……名前ならわかるでしょ」
そこからは何も言えなくなって、そういうものなのだろうかと考えながら、取り敢えずは静かに頷き返す。私はやはり、未だ恋愛についてはまだまだ経験が浅いようだ。ただ、大切にしてもらえていることは、ちゃんとわかっているつもりである。
鹿威しの音が、無言の空間にいつも以上に響き渡る。
その音に意識を戻されるようにして、悟さんはパッと手を離すと、先程までの事は何でもなかったかのように居ずまいを正し始めた。序でとでもいう様に、此方には意味深な言葉を投げてくる。
「それにね、もうちょっと待ってくれたら今みたいな関係ももうちょっとは変わるから」
「そうなんですか?」
「まぁ、今よりはましになるかな。楽しみにしてて」

五条悟という人間の”楽しみにしていて”というものがどういうものなのか、少しの不安と期待を胸に、今日もまた悟さんを見送った。