不可分体のふたり
いつの間に手配されたのか、仲人も立てられ、結納は滞りなく行われる運びとなった。当然だが、両親には以前より既に話があったようで、当日の衣装から結納品まで用意されている。詰まるところ、私だけが知らなかったのだ。
「今回の話、婚約開始時から、五条様は色々と動いてくださっているみたいでね」
「つまりこの婚姻は、呪術界上層部からではなく、五条悟様から直接の依頼なの、私たちも悪い話じゃないと思って見守ってきたんだけど、急すぎたかしら」
そう言った両親の様子から、五条さんがかなり前から動いてくださっていたことが伺えた。この話を纏めていたと言っていた事を考えるに、やはり上の方々と何かあったのだろうかと邪推してしまうのも無理はない。そこまでして私と結婚したいということであろうか。今更ながら、五条さんの思いが何処までのものかを計り知れなくなっている自分がいる。自意識過剰かもしれないので、余り深くは考えることは出来ないが……。
結局、私は恋というものを分かっていないのである。
少し心配そうな両親には、これ以上の話はないと笑顔を向けて了承した。その心に偽りはなく、五条さんと結婚することは幸運であると思っている。私のような、体も生活も不自由な被呪者を人間扱いをして好いてくれる人と巡り合えるのは、なかなかないと知っているからだ。
兎にも角にも、私の了承もそこそこに――元より、了承を待たずして日取りは決まっていたが――結納の日が刻一刻と近づく。実感が伴わないまま、婚約記念品もいつの間にか選ばれていて、部屋の片隅へ追いやったあの日の贈り物は、すっかり息を潜めてしまっている。まるで、周りに取り残された自分の様で、少し笑ってしまった。
そうして、笑っている私をも嘲笑う様に、結納当日を迎え、早朝より支障なく結納は執り行われている。現在、五条家からの受書を持った仲人を待つばかりとなった頃、慌てるような声が近づいてくるのが耳に入った。順調とは言えそうにない声はしかし、勢いよく襖を開けると、ピタリと止んでしまう。先程まで聞こえていたのは、やはり仲人の声であったかと呆ける状況だ。なんと、仲人を携えて、紋付羽織袴を着た五条さんが立っているではないか。驚く一同を意に介さず、綺麗な所作でその場に座し頭を下げる彼に、これから何が行われるのか分からず静かに見守るばかりである。
「突然の訪問大変申し訳ございません。ご無礼を承知で、御義父様、御義母様にお願いがございます。結納が終わり次第、名前さんと少し話をしたいので時間を頂戴してもよろしいでしょうか」
圧倒された両親は、どうぞどうぞと私の傍へと五条さんを通して、あとは此方で執り行うからと間の襖を閉じた。所謂、あとはお二人でというものであろうか。とんとん拍子で傍へと来た五条さんは、閉まる襖へ一瞬目を向けたかと思うと、私に向けてにっこりと歯を見せて笑った。
「びっくりした?」
「とっても……わざわざどうされたんですか」
「これは自分で渡したくってさ」
悪戯っ子のような笑みを湛えた五条さんは、更に面白い事があるとでも言うように袖に手を入れる。そして、手のひらから出てきた白の四角い箱は、パカリと開けられて中身を露わにした。婚約記念品の指輪が鎮座している。
「手、出してくれる?」
人間とは驚きを越えると言葉が出なくなるようで、言われるがままとなるのは致し方ないと言えよう。静かに出した左手は、一回り大きな手に掬い取られて、穴が開くほどの視線を感じる。ゆっくりと通される指輪をみると、やっと今日までの周りの状況が現実味を帯びてきた。
「ピッタリでしょ」
得意げな五条さんに笑顔を向けて、ふと思い直して居ずまいを正す。
「これからよろしくお願いします」
言ってから、三つ指をついてお辞儀をすると、五条さんからもそれに倣ってお辞儀をしつつ此方こそと返ってくる。破天荒な友人兼婚約者は、何が面白いのかくすくすと笑いだしてその場で脱力をした。もう直ぐ、冴達がおもてなしの御膳を運び込むだろうに、気にも留めてない様が彼らしい。そんな事よりも、達成感が滲み出ていた。
お遊びもほどほどにと言いたいところで、昔の事を思い出して、自分の悪戯心が疼くのを感じる。素知らぬ顔で五条さんに向き直り、努めて平静に言葉を紡ぐのだ。
「あの、一応確認ですが、私と結婚して本当に良かったんですよね」
「今更それ聞く?」
少し拗ねそうになる彼を宥めつつ、先程思い出した過去の記憶をなぞり、はてと考えるそぶりをして尚も続けた。そもそもこの話は少し前から気になっていた事ではあったので丁度良い。
「そういえば、最初の時に嫌いって言われたような……」
「あー、あれ……一目惚れっていったでしょ?名前の顔がまず好みだったんだよね」
「私の顔……ですか」
「そ!名前の顔は綺麗だし可愛い」
お世辞かとも思ってしまうが、五条さんならばそれはないとわかる。わかるからこそ、質が悪いのだ。誉めたあとも当然と言わんばかりの顔を此方に向けて、頬杖をつきながらまじまじと見つめられる。なんと恥ずかしい状況だろう……頬が紅潮するのが感じ取れた。悪戯を仕掛けようとした罰であろうか?
「顔は好みだけどさ、性格まではわからないでしょ?だから試したってワケ」
「私をですか?」
「名前もだけど、自分自身をかな。まぁ、そんな事しても結局は好きだったんだけどね」
どこか嬉しそうな五条さんに、此方まで笑顔になる。人に愛されるとはこう言うことなのか、と思うと心が温まるのだ。家族からの愛とも違う、何だかむず痒い、それでいて恥ずかしさや少しの申し訳なさも抱くこの気持ちは、初めて感じるもので新鮮であった。
「式が楽しみ」
そう言った五条さんは、プレゼントを待ちどおしにする子供の様で、可愛らしさが垣間見える。
「五条さんが楽しそうにしていると、私も一層楽しみです」
雰囲気に流されているように聞こえるかもしれないが、本音を告げると、五条さんは打って変わって少し拗ねたような顔になってしまった。今の言葉の中に何か気に入らない言葉があったのか。所詮、つられてしまう程度の感情かと思われてしまっただろうかと考える。
そんな私を他所に、彼はずいと近寄り手を取ってきた。日頃から距離感は近いと思っていたが、今日は一段と近い気がする。結納という、非日常にのまれているのかもしれないが。
「ねぇ、自覚ある?」
「え?」
驚いていると、婚約記念品である指輪を触られる。くすぐったさに意識が逸れそうになるが、それを許すまいと再度じっと見つめられた。宝石のような眼が不服そうに此方を覗く。
「名前は僕と結婚するんだよ。つまり五条になるの。僕の事、ずっと”五条さん”って言うつもり?」
あぁ、と合点した。彼は怒っているのではなく、本当に拗ねていたのだ。
「すみません、まだ少し実感がなかったようですね……悟さん」
呼んだ瞬間に掴まれていた手にきゅっと力がはいる。嬉しそうな顔をして、少し頬を染める様は、此方も気恥ずかしくなってしまうではないか。自分から言い出して照れるだなんて狡いという思いも込めて、私からも軽く握り返しておいた。
その後、結納は無事完了し、仲人を含め悟さんは家に帰っていかれた。一人取り残された部屋で、未だに彼の顔を思い出す。私の一言であんなにも喜んでくれるものなのかと、感慨深くなった……と、同時に再度誰ともなく呟く五文字が、どうしようもなく恥ずかしさを拭えず、この様な状態で今後大丈夫かと心配になる。きっと、あんなに喜んでくれるだなんて予想をしていなくて、私も嬉しくなってしまったのだ。悟さんからもらう発見が、日々降り積もっていく。式も近い、また新たな発見があるといいなと心を弾ませながら、その日はゆっくりと夢の中に浸った。
□ □ □
花信風が吹いて久しく、日々移ろう桜模様も、それを知らせる鶯の鳴き声も、踊る様に春を伝える。
その到来を待つように、苗字家では結納後も着々と式を挙げる準備が進み、使用人たちは忙しなく、去れど粛々と家の中を飾り付けた。同時に、白無垢や色打掛、末広に簪等の装飾品も日毎に選定が行われ、それらがまるで花の様に色とりどりに咲き誇り、苗字名前の部屋にも先取りして春の訪れを届けていた。
そうした努力の甲斐あってか、五条悟が呪術高専を卒業してすぐに、滞りなく式が開かれる運びとなる。新婦の制約で苗字家で行われるそれは、五条家の挙式にしては小さく、しめやかな規模である。尤も、新郎としては好都合だろう規模だ。
この日を誰よりも待ち望んだ五条は、紋付羽織袴で静かに彼女の部屋の前まで訪れた。先程、冴より準備が整ったと連絡があったのである。一呼吸を置いて、入っていいかと声をかけると、中から是と回答があった。声を受けて、襖の傍に控えていた冴は、するりとその境界を取り払う。
――中には、綿帽子を被り、白無垢に身を包んだ名前が、雅やかな雰囲気を纏って佇んでいた。
敷居の向こうで一瞬呆けた悟さんは、直ぐに満面の笑みを見せると足早に近寄ってくる。お気に召さなかったらどうしようと考えたのは杞憂であったらしい。
「綺麗だね」
自分の事のように、嬉しそうに笑ってこちらを見つめる悟さんが、なんだかとっても眩しく感じた。顎をゆっくりと持ち上げられて、そのまま指の背でさらりと頬を撫でられる。丁寧に、重ねるように、織り込むように、祈るように……愛情を閉じ込めたような視線にどう反応していいのかわからなくなる。
「ありがとう、ございます……」
少し、しどろもどろになってしまったが、感謝を返して青い瞳を見つめる。
私は、彼に何が出来、何を返せるのだろうか。頭の片隅から声がした。恥ずかしさはあれど、嬉しさはあれど、残念ながらこれは恋心でないことは私自身がよくわかっている。でも、こんなに想ってもらって、何か返したくなるのが人情というものだ。これから先で、彼に”何か”を返せればいいと、そう心の中で強く願う。
決意する私を知ってか知らずか、穴が開くほど此方を見つめる悟さんはそういえばとでも言うような顔をした。
「名前、式が終わったらさ、ちょっと二人で話しよう」
「? はい」
「大事な話。名前がこれからしたい事をたくさん聞かせてよ」
「したい事……」
「後で聞くから考えといてね」
狡い人は何処まで行っても狡い人だと再確認した。なんとも、よき隣人に巡り合えたなと顔が綻んでしまう。
式の後、一日で蓄積された疲れを、息に乗せて二人同時に吐き出しつつ、ぽつりぽつりと語り合う。それは、私からすると夢物語を語るよう。童心に帰る私を、しかし、悟さんは現実のものとして返事をしてくれるのである。宛ら、兄が妹に言い聞かせる様に似ている気がした。
「……空が、見てみたいです」
「いいね、どんな空がみたい?」
「どんな……考えたこともなかったです」
「じゃあ、今度空の写真集でも買ってみようか。他には?」
「他ですか……」
「なんでもいいよ」
「うみ……」
「うんうん。海は暖かい時期がおすすめ! もっとある?」
「うーん、雨にも触ってみたいかもしれません……でも、こうやって聞かれると余り出てこないものですね」
「ごめんごめん、焦らせちゃった。ゆっくりでいいから、これからいっぱいやりたい事をみつけていこうね」
二人の間できらりと二つの輪っかが光る。