ひた向きな呪い
年が明け、外は寒さが一層厳しくなっているようで、朝の火鉢にあたるのが習慣となってしまった。
今年の年末年始は靄を残したまま過ごしてしまったなとぼんやりしていると、携帯が光っているのが目にはいる。どうやら、昨夜送った硝子さん宛の返信が来たようだ。
年末に五条さんに渡そうとした品物の顛末と、どうやら嫌われてしまったらしいことの報告をしたのである。忙しそうな年末年始は避けたので、今の時期になってしまったが、世間話の延長の様な内容故に、妥当と言えるだろう。
そう、思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
返信の内容には、五条さんが素直でないことと、謝罪に向かわすと書かれているではないか。慌てて電話を掛けたのは、致し方ない。
「あ、もしもし苗字です。明けましておめでとうございます」
「ああ、名前ちゃん。明けましておめでとう……ところで明日空いてる?」
電話に出た硝子さんは、新年の挨拶をしたと思えば、即座に予定を聞いてこられた。
私からお聞きしたいこともあったのだが、先を越された上に勢いにもおされる。
「明日は……特に予定はありませんね。あの、それはそうなんですが」
「あ、五条、明日大丈夫だって」
「えっと、それでですね硝子さん」
「は?なんで……あ、ごめん名前ちゃん。明日五条そっちいくって、よろしくね」
此方の予定を聞いたと思えば、電話の向こうで話が完結し、気付けば明日、件の五条さんが来ることになったではないか。
そうして、矢継ぎ早に話が纏められたと思えば、用事があるので話は今度聞くといって硝子さんは電話を切ってしまった。
ツーツーという電子音だけが耳に届けられる。怒涛の展開に置いていかれた私は、しばらく携帯の画面を眺めたまま、暫し膠着した。これもまた、仕方なしと言えるだろう。
「……とりあえず、冴に明日の事を伝えないと」
思い立つようにして、強引に引き戻された思考は、少しの現実味の無さで覚束ない。無心で文机に擦り寄り、受話器を手に取った。
□ □ □
目の前に座る彼は、何処か居心地の悪そうな顔をして、此方を見てくれようとはしない。
突然の来訪を予告する電話から、今の今まで半信半疑であったが、五条さんは本当に来てくださった。
同時に、先日のやり取りを思い出して、気まずさを感じるのだが、この雰囲気を思うに、きっと五条さんも同じ気持ちなのではないだろうか。そんな思いが頭を擡げ、少し気持ちが軽くなったころ、私の雰囲気を察してか、五条さんもやっとこちらを向いてくれた。咳払いもお供に。
「この前は、悪かった」
ごめんね、そう言った五条さんは全面から申し訳なさが溢れていて、何処か”彼らしさ”がなくて、むず痒くなってしまう。堪えては居たのだが、つい、溢れ出してしまった笑い声。
そんな私を見て、五条さんはムッとした顔をしつつも、照れくさそうだ。可愛らしさが見え隠れする。
「五条さんは、私の事を嫌ってしまわれたのかと思っていました。嫌われていたらと思うと……」
「思うと?」
「やはり、悲しいです」
「じゃあ、杞憂になるよ。僕が名前を嫌うなんてそんな事ないから」
何処か得意気に応える五条さんは、しかし、真意がわかりかねる。私の事を嫌いになる事はないとして、ではなぜ、先日あのような態度であったのか。やはり粗相をしてしまったのではとの不安は拭えない。
そんな事を思っているのが顔に出ていたのか、彼はすまなそうに此方への説明を始めるのだ。
「あの時、名前が婚約解消の話しだすから、つい八つ当たりしちゃった。ホントにごめん」
婚約解消の、何がそんなにも引き金となるのだろうか。疑問が頭を擡げるが、話は続く。
「序に言うけど、その婚約の話ちゃんと纏めたから。結納は一週間後だよ。折角この話纏めてたのに、名前が解消とか言うから~」
「……えっと?」
「つまり、婚約は解消しません!このまま正式に式を挙げます」
にっこりと笑った顔で、なんでか教えてあげようか?と、勿体ぶる様に此方を見てくる。空色の瞳が、静かに語りかけてきた。此方としては、寝耳に水で、事態に全く追いつけていない。しかし、私を嘲笑うように、彼は尚も言葉を紡ぐ。
「僕が名前に一目惚れしたから」
目線を合わせて、少し柔く見つめられながら告げられた真実。
その事実は突拍子もなく、私の思考を更に停止させた。
「婚約を持ち掛けたあの時、本当に見合いが嫌で、上の奴らが嫌で……それだけだと思った?」
「は、い……」
「残念、外れだよ」
台詞をゆっくりなぞるように……私への言葉を紡ぐその姿は、今までの印象から少し外れていた。
「見合いは確かに嫌だったけど、僕ならどうとでもできた。上の奴らが嫌なのは今も変わらないけど、それもこれから変えていくつもり」
「……」
「それもあったけど、何より名前の顔が忘れられなかった」
「私……ですか?」
呆けていると、膝の上にあった手をするりと取られてしまう。
いつの日かの、ぬるい温度を思い出した。
「あの日、僕達と自分の為にって言い訳して、自分の未来を諦めていた女の子の顔があったから……」
言いながら、取られている手に少し力が込められる。
「僕とならどうだろう?って思ったんだよね」
「五条さんと、なら?」
「そう、僕なら色々叶えてあげられることもあるんじゃないかって思ったわけ」
「それは……たしかに」
暫し逡巡したが、確かに五条さんならと納得してしまう。
私が、外をみたい、空をみたい、海をみたい……そう言ったら叶えてくれそうだ。実際叶えるだけの力もあるのだろう。しかし、しかしである……問題がひとつ。
「あの、大変申し訳ないのですが……私は五条さんの事を友人としてしかみれておりません……それで結婚とは、失礼ではないでしょうか?」
「わかってるよ、でもそれは、”まだ”そうとしかみれないんでしょ?」
苦笑する五条さんには、やはり大変申し訳ない気分になった。
私は元々、何方か分からない方とお見合いをして、そのまま結婚をすると思っていたのだ。つまり、人生において、恋愛というものをする機会は、ないと思って生きてきたのである。折角、こんな風に私を想ってくださっても、私はその思いにどうやって返せば良いのか分からない。そんな経験も、そんな未来がある予測も、何もかもを持ち得ていなかったから。
そんな私を見透かしてか、五条さんは私の手をゆっくり離し、ちょっとごめんねと断りをいれた。かと思うと、今度は頭に手を添えて引き寄せられる。
「こうやってされるの、イヤ?」
「……いえ、嫌ではないです」
突然の行動に戸惑いながら、確かめるように返答する。
「なら、大丈夫。僕は名前の事を大切にするし、絶対惚れさせるから」
なんだか楽しげに一人納得されてしまった。
更に、”惚れさせる”だなんて言われてしまっては、どうやって返事をすれば良いのか、本当に分からない。そうやって戸惑っていると、それが伝わったのか、五条さんはくすりと笑ってからこうも続けたのだ。
「あのね、名前。このまま頷かなくても、今後名前が何処かの知らない男に貰われていくとか、そもそも却下なのわかる?それに、名前だって、今更どっかのおっさんと結婚とか嫌でしょ」
言って顔を覗き込まれる。その言い方は、やはり狡いのでは無いだろうか?
そう思っている私を他所に、更に五条さんは追い討ちをかけてきた。
「名前が本当に好きな人ができたって言うなら別だけど、それはないしね」
断定されるのも仕方がない。私はこの部屋から出られないのだし、異性との交流といえば、今では五条さんだけなのだ。
本当に、五条さんは初めからずっと狡い人。
そう思ったら、なんだか少し笑えてきた。よく考えなくても、五条さんとは何年にも渡るやり取りで気心が知れているし、私としては願ってもない話なのかもしれない。仰る通り、五条さんと比べると、下手に知らない人の元へ嫁ぐのは、抵抗があると言うのは事実である。
「……では、お言葉に甘えさせて頂いてもいいですか」
やっと、心からの返事ができた気がした。
数年を経た、これが私の回答だ。
□ □ □
「そういえばこの前の電話の続き、なんだった?」
何処か楽しそうに聞いてくる硝子さんは、実は全てお見通しなのではないかと思えて仕方がない。わざとだよと言われても、硝子さんならすべて許してしまう気がする。
「この前の事は……一旦無かったことにしますね」
「なんだそれ」
クスクスと笑う彼女の声が心地よい。
「で、今日は?」
緩い催促に、今度こそ今日電話した目的を伝える時だと一呼吸。未だに実感がないなと思っていたが、いざ、知り合いに伝えるとなると、じわじわと現実味を帯びてきた様に思う。恋心はないが、気恥ずかしさはあるのだと知れた。
「実は、五条さんと正式に結婚することになりまして」
「あぁ、やっとか、おめでとう」
「あれ?驚かないんですね」
此方が驚くほどにあっさりした回答であった。更には、”やっとか”などと言われてしまい、先程の気恥ずかしさは霧散する。
「いや、まぁ名前ちゃんも五条が好きってのには驚きだけど、何としてでもこのまま結婚するから見とけって宣戦布告してたからな」
「あ、すいません、私五条さんの事は恋愛的な意味で好きと言う訳ではないんです」
「……マジ?」
「はい……あの、やっぱり軽蔑しますか?」
「だっはっはっは!最高!名前ちゃん最高だよ。でも、良くそれでオッケーしたね」
「いろいろとありまして」
電話口で盛大に笑われてしまったではないか。まぁ、軽蔑されるよりは余程良い。憑き物が落ちる心地がして、自ずとこちらもくすくすと笑い声を出していた。
今度、詳しく話聞かせて?そういわれて、自然と次の約束をする。これからも硝子さんとは、五条さん共々、長い付き合いになりそうである。