暮れの慈光

暮れの慈光



「あれ?知らなかった?アイツ7日が誕生日だよ」
吃驚した硝子さんの顔が此方を見つめてきたのは、12月も半ばになろうかという時期である。
大変お恥ずかしい話ではあるが、誕生日が7日であるということは、正に今知った話であった。詰まる所、五条さんと契約上の婚約者となってから、もう4回は誕生日を祝い逃している計算だ。硝子さんが驚くのも無理はない。私も驚いているし、彼女は、私たちが利害関係の上で成り立っているとは知らないのだから。
重ねて、更に驚愕する事実として、五条さんは7日頃にここへ来ていたと記憶しているが、そんな話を伝えられた記憶が微塵もない。誕生日であるという素振りさえなかったのである。
「あの、もしかして何か仰っていました……?」
「いいや、特には……というか、本当に知らなかったんだ」
自己主張だけは激しいのに……、そんな呟きをする硝子さんをみて、急いで記憶を数年前まで巡ってみたが、本当に微塵も誕生日の話をした記憶がない。
私の動揺を受けてか、硝子さんは神妙な顔を向ける。婚約者なのにという思いなのだろうか。
上手い言い訳が見つからず、これ以上の嘘も憚られたので、逡巡した後に戸惑いながらも本当の事を話すことを決めた。
きっと、五条さんならば許してくれるだろう。相手は硝子さんである。
そうは思っても、親にも内密にしていた為、少しの戸惑いが、口から出る言葉に表れて詰まってしまう。
「えっと……その、大変申し上げにくいのですが……」


「……ということで、五条さんには私の我儘にお付き合い頂いて、私も五条さんのお役に少しでも立てるならと」
「ふーん、なるほど、そういうこと」
ふんふんと頷いて納得している硝子さんに、此方としては居た堪れない気持ちになってしまう。
何年にも渡って嘘をつき続けているのもどうかと思うのだが、巻き込まれた方は堪ったものではないだろうからだ。
許しを請いながらじっと畳の目を見つめていると、私の心境に気付いたのか、ふっと笑い声を出して、安心させるように頭に手を置かれる。
「そんなに気にしなくていい、納得できたし」
納得とはどういう意味だろうか?ともあれ、やっと打ち明けられたと思うと、少しだけだが心が軽くなった。
硝子さんも、この件は余り気にしていない素振りで、何よりの救いである。勿論、罪悪感はあるのだが。
「本当に申し訳ありません」
「あんまり謝りすぎない方がいいよ、それよりも、尚更誕生日教えてないのが気になったけど」
ニヤリと笑う硝子さんに、はてと考える。
私は、家族や家の者以外ではお三方としか会話をしたことがないので、そう言ったことまで思い至らずいたせいでもあると思う。しかし、改めて考えると、今までどうして知らなかったのだろうと思うのは道理であった。
1つ、仮説として思い当たることがあるとすれば、それは私が一時的な繋がりしか持たない間柄だからではないか、ということである。
「多分ですけど、五条さんには他に想われてる方が居るんじゃないかと思うんです」
「ほー、その心は」
「その、心はですね……」
ふと、あの日の口づけを思い出した。
やはりあれは、その人――想い人――へ向けたものではなかろうか?
勝手な揣摩臆測もいいところで、きっかけがきっかけであることから、あまり詳しくは伝えられないが、そうなのではと思うのだ。
だからこそ、誕生日の話が出なかったのは、利害関係の一致でしかない相手にわざわざ伝えはしないだろうと納得がいってしまう。
そんな思索にふける私を他所に、硝子さんは此方をみてぽつりと呟いた。
「何でもいいけど、多分言った方が早いと思うんだけどな~」
「誕生日をお教え下さらなかった理由ですか?」
「それもだけど、うーん……」
考えこんでしまった硝子さんは、どこか楽し気である。
なんだか五条さんを思い出すような笑顔だが、きっとこれを言うと、すぐに否定されそうなので、静かに心の中に仕舞う。硝子さんは嫌がりそうだからだ。
「まっ、いいか。名前、今度五条に会ったら祝ってみな。面白いモノ見れるかもだし」
「あ!はい、それは勿論。今までお世話になっている分もありますので」
慌てて応える私に、硝子さんはまたクスクスと笑い、いい事をした後は気分がいいなどと言って、1人納得し、お茶を啜ってしまわれる。
未だに、婚約破棄のお話は出てこないし、最後に何かお渡しするのも良い案だなと、考え直して五条さんの好みを聞くため、私はまた硝子さんに頼ってしまうのだ。



□ □ □



大晦日まであと数日。
両親から遂に結納の話が出始めてしまった。
部屋から去る両親の背を見つめて、どうしようと胸がざわつく。
取り敢えず、五条さんに了承を得ていない今、承諾の旨を伝えるにとどめはしたが、撤回するなら数日中である。悩む間もなく、冴に連絡を取り次いで貰い、この時期としては無理を承知で来ていただくことにした。
序に、先日話題になった誕生日についてもお聞きしてみよう。そう心に決めて、準備しておいた品物も手元に持ってきている。
いろいろな事が重なり、浮足立つ心を落ち着かせて、五条さんの到着を待ったのであった。

「急にどうしたの」
2~3週間振りとなる五条さんは、不思議そうな面持ちで私のもとに尋ねてきた。
かと思えば、いつも通りの仕草とでも言わんばかりに、目の前に座ると同時、両手を頬に添えられてしまう。完全に五条さんの行動に翻弄されている。私も私で、条件反射で目を閉じて、顔を見やすいように動かしてしまうのだから世話がない。
「……うん、問題なし」
五条さんからのお褒めの言葉を頂戴して、改めて碧眼を見つめ直す。
「で、改めまして、どうしたの?」
楽しそうな五条さんに、まずはお詫びをと腰を折ると、どうしたどうしたと慌てられてしまった。
「年末のお忙しいところ恐れ入ります」
「そんな事気にしてたワケ?寧ろ有難いぐらいだよ、年末年始はいつも以上に五月蠅くて嫌になってたから」
いい気分転換。そう言って逆にお礼を言われる始末だ。五条さんの事は解らないな……と、改めて独り言ちてしまうが、はたと目的を思い出す。
「まずは、先日硝子さんに、12月7日がお誕生日だとお伺いしまして……」
私の言葉を聞いた途端、みるみる驚愕の表情になって、口元も開いてしまっている。
驚いてもらえて何よりだと微笑みながら、後ろ手に隠していた包みを取り出す。
「もう少しで、この関係も終わってしまいますし、今までお世話になった分も兼ねて此方を受け取って頂きたくて」
そう告げて、見直した五条さんの顔は、先程の驚きが鳴りを潜め、不愉快そうな顔に変貌していたではないか。私は、何か粗相をしてしまったのだろうか。はたまた、やはり私に知られることは避けたかったのであろうか。
疑問が渦巻く中、差し出しかけていた包みは行き場を失ってしまった。
「それは要らない」
見咎める様に、冷めた目を向けた五条さんは静かに告げる。
つきりと胸が痛んだ。明確な拒絶である。上げかけた腕が静かに膝に戻ってゆく。
今までに、五条さんからこんな言い方をされたことがあっただろうか?
硝子さんは面白いモノと言っていたが、そんな生易しいものではなかった様だ。
「……突然すみませんでした」
「別に……で、今日はそれだけ?それなら帰りたいんだけど」
此処へ来た時と打って変わって、直ぐにでも帰ろうとする態度に、慌ててしまう。
本題は、もう一つある。
「お、お待ちを……昨日、両親から結納の話がありました」
「……」
「早急に婚約解消を伝えないと、五条家へもお話がいってしまいます、ですので……」
「それも、こっちで何とかするから名前はもうちょい待ってて」
じゃあ、そういって去り際に頭に手を置いたかと思うと、五条さんは本当に立ち去ってしまった。

残ったのは、手の中の渡せなかったプレゼントと、頭の感触だけだ。