抗告の吟が

抗告の吟が


宣言通り、五条さんも硝子さんも、以前より良く訪れてくれるようになった。
2人同時だったり、1人ずつだったりと疎らだったが、だからこそ週に一度程の頻度の時もあった程である。
呪術高専4年生ともなれば、それぞれ勉学に任務にと忙しいだろうに、それでも小まめに顔を見せてくれたのは、有難くもあり、私自身も2人の様子が見ることが出来て嬉しくもあった。
あの事件以降、五条さんの雰囲気は日々変化を見せ、川を流れ落ちる石の様に、丸みを帯びてきたように感じる。
勝手な受け取り方なので、違うと言われればそれまでだが、如何にも言動や行動が柔らかくなっていると思えて仕方ない。そのことを硝子さんに漏らすと、程よく見守ってやってとの言葉を頂いてしまった。やはり、硝子さんの目から見ても変化があるようだ。
しかし、変わらないこともある。特に変わらない事といえば、来訪の度に持ってきてくださる花束が筆頭であった。別の意味では、あれ以来呼ばれている私の呼び方も変わらずで、もう下の名前で呼ばれることに抵抗が無くなっている自分がいる。

今日も今日とて、訪れてくださった五条さんは真っ先に花束を渡してくれたかと思うと、私の事を名前と呼ぶ。
「名前、今日の花はね、芍薬とデルフィニウム……気に入った?」
何処か得意気に伝えてくる顔は、褒めてほしい子供のようで、可愛らしさにくすりと笑みが漏れてしまう。五条さんに可愛らしいという言葉は失礼かもしれないが、それでも可愛らしいのだ。
そうやって笑った私をどうしたのと覗き込む顔は、花を贈り始めてくださった頃を少し思い出してほっとする。
進んだ時間は残酷にも後戻りが出来ないように、一度壊れたモノはいくら修復を試みても完全には元の姿に戻らない。しかし、少しずつでも前の様に笑ってくれている姿が垣間見えると、多少の安堵が芽生えるのだ。
そうして一息ついてから、とっても気に入りましたと花束を抱きかかえると、さっきの笑いは何?とこちらも笑いながら聞き返されてしまう。
「何でもありませんよ」
きっと可愛らしいと思ったなんて言うと、五条さんは拗ねてしまいそうだから、はぐらかすのが一番だと思った。
「いいけどさ、気に入ったなら」
そういって、五条さんは私の少し前に置かれた座布団へ座り直した。
変化といえばこれもある。
以前は複数人での来訪が常だったので、私の部屋――組紐の結界内――には座らないような配置になっていたが、最近はお一人ずつでの来訪が多いため、自然と直ぐ近くに座ってもらう事が増えたのだ。
最初の切っ掛けといえば、明確なものはないが、来るたびに私の顔色を確認する五条さんの行動が習慣化したことが挙げられる。
来てまず真っ先に、用意されている座布団を持ちながら組紐を潜り、花束を渡してくださったかと思うと、目の前に座って顔に手を添えられる。そうして、顔色を確認されてからお話が始まるので、自然とそのまま私の部屋の中に滞在するという図式なのだ。
途中からは、察した冴が座布団を部屋の中に用意しており、いつの間にか直ぐ近くで向かい合うことが当たり前となっていた。硝子さんもそれは同じで、いつの日かお二人で来られた際に、それまでと同じように五条さんが近くに座られるので、倣って座る様になられたのである。
今日もいつもと同じように、目の前に座った五条さんが、無言で腕を伸ばしてくる。顔に添えられた手は、そっと触れるのみに留まり、初めの頃はどこかくすぐったかった。それも慣れてくると、伸ばされる手に少し差し出す様に、顎をついと動かすのが当たり前となっている。
添えられた手が大きい事に、いつも感心しながらも、真剣に此方を見分してくる五条さんの瞳を見つめ返しつつ、されるがままとなる。
「今日は少し疲れ気味?」
まじまじと顔色を見られるようになったからだろうか、最近は体調を当てられることばかりだ。
六眼を持っている人だからだろうかと、少し思考が逸れそうになるほどである。
そう思っている私を他所に、確認をし終えた手は触れた時と同様にそっと離れていく。
「すこし、昨日は夜更かしをしてしまって」
「珍しいね、今日は早く寝な」
労りの言葉と共に、軽く頭に手を置かれる。やはり、頭を覆いそうな大きさだ。
関心と共に、今日は21時頃に寝ようと予定を組み立てておくことを忘れない。
余り連日体調不良が続くと、無理をしてでも硝子さんが訪れる事にも繋がるからだ。

そうしていつも通りの時間が過ぎ、その日も頃合いをみて五条さんは帰っていかれる。
同じように、硝子さんもたまに訪れては一緒にお茶やお菓子を楽しみつつ、体調を聞かれながら数時間一緒に過ごしている。
この時間は、毎回とても楽しく、穏やかに過ぎて行き、2人のお陰と音沙汰の無さからか、段々と自分の警戒心も和らいでいった。
そうなると、次第に自身に目が向く。
自身というより、五条さんが大いに関係のある事柄だが、端的に言えば婚約の事である。
形式的に婚約者となっていたが、それも五条さんが高専に通っている期間まで。今は、4年生の秋に差し掛かろうという季節で、忙しい為に免除されているのだろうが、後1~2ヵ月で5年生まで半年程という季節。彼が卒業と同時に結婚式を……という話になると考えて、式の準備に1年とすると、そこから更に半年前には顔合わせの話が出てきてもおかしくはないのだ。
一般的な”結婚式”にどれぐらいの時間を要するものなのか、私には判断しかねるが、習っている内容と”五条家とのお話”であることを加味すると、期間は長く見積もっておいても間違いはないだろう。
詰まる所、そろそろ本当にこの関係を解消しないと、立ち行かなくなる時期になってしまうということである。
事実に気付いてからの私は青ざめた。いろいろな事があったとて、五条さんの良心に甘えてばかりではいけないと再認識させられた気分だ。
自覚してしまえば後は早い。次に五条さんが来た時には、婚約解消を持ち掛けようと、頭の片隅に確りと記した。きっと彼もこの関係解消には前向きだろうし、ここに通わなくても済むので楽になる事だろう。友人が離れてしまうのは物悲しいが、せめてたまにでも顔を見せてくれればそれで十分だと思う。

決心をして、幾日も経たないうちに、丁度五条さんが訪れる日がやってきた。
その日も、相も変わらず花――この日はフランネルフラワーだった――を頂いて、顔色を確認された後、お茶を飲んで一息ついてから何とはなしに話を切り出した。
「あの、今更となって申し訳ないのですが、そろそろ婚約についてお話しなければと思いまして」
「ん?なにかあった?」
「婚約解消を両家に伝えなければいけない時期だと思います」
「……あーなるほど」
不自然な少しの間をおいて、何やら心得てくださったような五条さんの顔をみると、直ぐに了承をする風でもないのは一目瞭然であった。
おや?とも思うが、もしかすると、今後を考えて面倒さに嫌気がさしたのではと考える。只でさえ忙しい時期だ、そこに婚約解消の説明を入れると、すぐにまたお見合いの話が来るだろう事は容易に想像できてしまう。今の時期に申告するか、少し面倒になってももう少し後に申告するかを天秤にかけたのではと思わざるを得ない。
しかし、私としては、これ以上五条さんが名目上の婚約者を演じるために、ここに足繁く通う手間は減らさなければならないと考えている。
「何か催促でもされた?」
此方を伺うような視線に、疑問を抱きつつも、素直に応える。
「いいえ、ただ、近日中にも顔合わせの話が出てもおかしくない時期だなと思っただけです」
「言われてみればそうかもね」
ふむと考えこむ姿に、はて、五条さんは直ぐには了承して下さらないようだと思考を巡らせる。
何か考えがあるのだろうが、言っていただかない限りは此方も推測できそうにない。何故ならば、私と婚約し続ける利点がないからである。
「あの……何かご不満が?私でお力になれる話であれば、解消に向けて一緒に動くこともできると思うのですが」
「あー、いや、それはいいよ。こっちで動くから、名前は今まで通り過ごしてて」
そう言ったきり、この話は今日でお終いとでもいう様な雰囲気を醸し出して、するりと話題を断ち切られてしまった。
最後までお手を煩わせるのは忍びないので、私個人でも動けることは動きたかったのだが、やはり足手纏いになるのだろうか?
ぼんやりと己の不甲斐なさを感じながら、婚約解消についての言い訳を考えて気もそぞろにその日は気づけばお開きとなっていた。


しかし、次の来訪時も、五条さんは「もうちょっと待ってて」というばかりで、一向に解消の話が進む気配もなく、季節は冬に移り変わる。
両親からも特に話が出てくることもなく、曖昧な気持ちのままに年の瀬を迎えようとしていたのだ。