木枯らしが吹き抜ける一月中旬。
用事を済ませてから高専へと帰り着き、車を出たところで、寒さに衿許を抑え、首を竦める。
そんな俺を置いて、後ろでは車が走り去る音が聞こえた。
視界の端では、昨夜振った雨のせいか、未だに土が湿度をもっているのが伺える。
だからだろうか、幾分か空気が更に冷えている気がしてならない。
加えて、上を見上げると、どんよりとした分厚い雲が幾重にも折り重なり、駆け足に流れていた。
今夜にでも、雨若しくは雪でも降ってきそうだなというのが目に見えてわかるのが、少しだけ疎ましくさせる。
感傷に息を一つついて、白くなった空気が消えるのを見やってから、待ちきれず携帯を取り出す。
あいつ絶対気付いてねーな、少しだけ悪態をつきながら、ポチポチとボタンを操作して電話をかけた。
相手は勿論、夏油傑である。
今日はこの後、苗字家へと一緒に行く予定なのだ。
「……傑、もう着いてる」
通話が繋がったのを受けて直ぐに催促すれば、あれ?なんて声が聞こえてきた。
「予定では30分は後じゃなかったっけ」
悪びれもなく言ってくる様に、解ってはいたがため息が出た。
「さっきメールで予定より早く着くって送っただろ、取り敢えず早く来いって、外すげー寒ぃの。車はさっき外に見かけたからとっとと行こうぜ」
「ごめん、直ぐに向かうよ」
言って、通話は足早に途切れた。
携帯をしまうついでに、ポケットに手を突っ込み温めて寮の方を見やる。
片手は先程から荷物を持っていて仕舞えないのが難点であった。
□ □ □
「おまたせ、いつもと逆だね」
あの電話から数分もしない内に着いたというのに、悟は少し不機嫌そうであった。
当たり前か、確かに外はきんと冷えている。
「おせーよ」
少し拳を当てられたが、今回ばかりは謝るほかない。
降参のポーズをとりつつ、ゆっくりと車があるであろう結界の外へと向かった。
それにしても……だ、先程から気になるモノがずっと視界の隅をかすめている。
カサリカサリと鳴るそれに、こればかりは聞いておかなければと口を開いた。
「それって苗字さんに?」
聞いた瞬間、目でなんだと語ってくる悟は、突っ込みをご所望でないらしい。
「この前言ってた手土産だよ」
さらりと答えたかと思うと、それ以上会話を広げないためか、目線を前に向けてしまった。
今までずっと気がかりだったが、悟も人の心が十二分にあるらしい。
「なんだか安心したよ。これなら私が居なくてもよさそうじゃないか」
「は?何がだよ」
「いやぁ?……悟にもちゃんと思いやりの心があったんだなって話」
「……意味わかんねーこと言ってねーで行くぞ」
気付かれない様に――と言っても、悟相手なので気付かれているだろうが――クスクスと笑うと、不機嫌さが増したのが背中からも見て取れて、それがなんだか面白かった。
突然婚約などと言い出したから、一時はどうなることかと思っていたが、彼なりに考えて接しているらしい。
確かに、ここ数ヶ月一緒に訪れても、彼女が喜びそうな話をするだけで、最初の様に険悪な雰囲気と言うのだろうか……突っ掛かったりすることも全くと言っていいほどない。
少し感慨に耽っていると、車に着いてしまったようだ。
寒さから逃げるように乗り込むと、やっと一息つけた。
横からはふわりと優しい香りが漂ってくる。
□ □ □
「明けましておめでとうございます」
「あ、そうだね。明けましておめでとうございます」
三つ指をついてお辞儀する苗字は、足が上手く曲がらないながらも綺麗な所作だった。
「五条さんも、お久しぶりです」
「久しぶり」
苗字が自然に言ってしまうものだから、止める間もなかったが、傑は少し不思議そうな顔を一瞬見せただけに留まった。
久しぶりだなんて、年が明けてから一度きたのがバレそうなものだ。
だがまぁいいか、何か悪いことをしている訳でもないし。
思い返して、ここに来るまでに傑に揶揄われたモノを静かに取り出す。
「そういえばこれ、先に渡しとく」
「……いい匂いですね、何のお花ですか?」
そうっと受け取りながら花に顔を近づけて嬉しそうにしている。
やはり香りがするものを選んで良かった。
素直な反応を示す苗字には、此方も素直に渡せると言うものである。
「フリージアだよ」
「フリージア……素敵ですね、有難うございます」
「その花、苗字さんによく似合ってるね」
傑の感想に、心の中で静かに頷いた。
フリージアの白さと彼女がよく似合う。
「いい趣味してる」
小声で此方に話しかけてきた傑には、お節介野郎という目線を少し送ってから、黙殺した。
なんだか相変わらず茶化されているように感じてしまうのである。
俺自身が、自分の柄じゃ無いと思っているからなのか、これはどうしようもない。
ただ、花を見て似合いそうな花瓶があると楽しそうに話す苗字を前にすると、次もきっと持ってきてしまうのだろうなと思うのであった。
その予想通り、それからも訪れる度に花は欠かさず手渡した。
2月はラナンキュラス。
3月はガーベラ。
4月はリューココリネ。
つられるように、傑もいくつかの茶菓子を持ってきて、所謂お茶会をしたのが記憶に新しい。
一度硝子も3月に訪れて、その際に揶揄ってきたのには流石にウルセェと返すしかなかった。
お前が手土産って言い出したんだろうがよ……今更言っても、きっとこいつは覚えてもいないのだろう。わからないが。
あの時の事は、今思い出しても疲れる記憶だ……――
「……でもほんと、あの五条がね?人って変わるんだねぇ〜」
「私も最初はビックリしたよ、でもちゃんと毎月持ってきてるんだ、律儀だよね〜」
最後には2人して「ねー」と口に手を当て、ニヤニヤしながら言い出すのだから本当にコイツ等は人をおちょくるのが好きだなと腹が立ってくる。
「文句あんのかよ」
「いいやぁ?キザだなって……名前ちゃん、いらないなら要らないって言いなよ?」
揶揄ったと思ったら次はこれだから困る。
それでも、たまには顔を見せると言っていた硝子が行くと言うならば、会えるのを楽しみにしているであろう苗字のことを考えると、止めることも出来ない。
「恐れ入ります。お花好きなのでとっても嬉しいですよ、夏油さんのお茶菓子も美味しいですし」
フォローするように言い出した苗字に、硝子は名前ちゃんが良い子でよかったねなんて更に態とらしく揶揄ってくる。余計なお世話だ。
そんな俺たちを見兼ねてか、苗字はおずおずと喋り出す。
「あの、五条さんのお花……お庭には咲いてないものが多いので、見ていて楽しくって……恥ずかしいお話ですが、幾つかは押し花にしているんです」
勿体無いって思ってしまって、何処か照れるように語る苗字の話には驚いた。
そんなに喜んでもらえていたのなら、まぁ、コイツ等に揶揄われたのも報われる。
「あ、でも、ご面倒なら本当にお気遣いなさらないでくださいね」
「悟のことなら気にしないで、勝手にやってることだから」
心配そうな苗字に、此方が答えるより先に外野が答えやがる。
その通りではあるが、本当に茶々入れが面倒なやつだなと傑を睨んでしまうのは許されると思うのだ。
「そうですか?……では、これからも楽しみにしてます」
苗字は、此方を伺うような顔で見つめてきて、朗らかに微笑む。
「名前ちゃんって、そういうところ押しが強いよね。私は好きだしいいと思う」
「あ、え……すみません、やはりご面倒ですよね」
「そんな事無いから大丈夫だよ。ただ、苗字さんが私たちと合う性格だなって話」
「そういうこと」
何故かまた代わりに答えている傑は置いておいて。
硝子はと言えば、少し楽しそうにしながら茶菓子を食べていて、相対する苗字は未だに少し困っている。
「苗字、コイツ等の話は気にしなくていいから。花もちゃんと持ってくるし」
人の事は全く言えないが、この同期2人の性格もなかなかのものなのを確りと理解しているので、助け舟をつい出したくなるのも致し方ないというもの。
なのに、横から“成長したね“と言わんばかりの生暖かい視線が2つも寄せられるのである。
揶揄われるのも報われると思ったが撤回だ、其れを上回る揶揄われ様としか思えない。後で絶対ぶっ飛ばす。
苛立ちと誓いを胸にした所で大きなため息を一つついたら、一連の流れを見てか苗字が静かに笑い出した。
「お花、楽しみにしてますね」
笑われて力が抜けたとはこの事だ。
苗字の笑いは、邪気が無い処か此方の毒気まで抜かれてしまう。
そんな事を思っていると、ふと苗字は思い出したように部屋の隅の文机に擦り寄り、その引き出しに手をかけた。
「代わりではありませんが、私からもお三方にお贈りしたいものがあるんです」
取り出されたのは、それぞれに色の違う組み合わせの組紐が3つ。
そこには苗字の呪力が感じられた。
□ □ □
「さっき、冴さんから聞いたんだけど、名前ちゃんが呪力込めるのって相当大変らしいから大切にしてあげてねだってさ」
「へー、まぁどっかに身に着けときゃ無くさねーだろ」
「ミサンガみたいにしたら良さそうだ」
なんだかお揃いみたいでやだなと言いつつも、其々に足首や腕に身に着け、その日はそれでお開きとなった。
手首には、白と青と金で編まれた組紐が綺麗に輝いている。