寝台の不完全
窓からチラリと覗いていた外観は、高い塀とその塀から顔を出す雑木林だろう輪郭しか確認が出来ずにいた。家の全体像がわからないまま、気付けば門を潜り、車は静かに敷地内の何処かに停車する。
ゆっくりと介助されながら降りた先には、大きな日本家屋の平屋が眼前に広がり、その玄関口を大きく開けているではないか。驚きに言葉を失いつつ、悟さんの方を向こうと顔を動かした先には先程まで通り過ぎた庭と石灯籠、小さな池、その池に架かる石橋が視界に入る。世間知らずな私でも、流石に察してしまう程に格式が高い家であった。何かの間違いかと、今度こそ悟さんを見やると、どう捉えたのか気に入ったでしょうという顔をして笑顔を向けてくるのだ。
「悟さん……このお屋敷は」
「モノクロでも綺麗なの分かるでしょ」
戸惑いに言葉をつまらせる私を他所に、誇らしげな彼を見て、なんと言葉をかけていいのか困ってしまう。これほどまでにお金が掛かるのならば、私はあの部屋で十分であったのに、そう言いそうになる言葉をぐっと堪えた。悟さんの善意を無下にすることは出来ないのである。
ひとまず、気もそぞろに礼を述べてから相手を伺う。建ててしまったものを壊してほしいわけでも無いので、今日のところは素直に受け止めようと気を取り直したのだ。
「さっ、名前も気に入ったみたいだし早く中に入っちゃお」
両手を合わせて片頬に添える姿が見えるのがなんとも言えない。周りも私と悟さんの温度差を察してか、何処かきまず気である。
その空気を切り替えるように、冴がこほんと咳払いをした。
「では、こちらに」
先導されるがまま、周りの術師の方たちに歩幅を合わせてもらいつつ舗装された道――玄関アプローチというらしいが、門から玄関までの道のりや幅からして、道と言いたくなる――を少しだけ歩く。玄関に入る手前はなだらかな坂になっており、松葉杖をついていても問題ない造りとなっていた。登りきった先には、実家のものより段差の低い式台と上り框があり、このまま松葉杖をついて入ることが可能に見える。また、一部は土間から続く坂や、反対側には長めの木の箱が丁度椅子の様に壁伝いに設置されており、車いすなどでも問題がなさそうであることが伺えるものであった。
細やかな配慮が垣間見えるとともに、私自身は家から出ることが無いのではとの疑問が頭を擡げる。いずれにしても、ここまで考えてくださる悟さんには感謝しかないのだが、如何せん申し訳ない気持ちを覚えてしまうのは致し方のない事だろう。
そうやって、取り留めの無い事を考えている私を他所に、前方の術師の方はゆっくりと家の中へと足を踏み入れた。それに倣って、自身も下駄を脱ぎ、新居へと足を踏み入れる。
玄関の広間中央には大きめの衝立があるのが見えており、その先に廊下が繋がっているようだ。先を促す様に進む悟さんが「こっちこっち」と急かしてくる。促されるままに少し進むと、廊下横の途中で襖を開けて、その中に誘われた。ここが私の生活拠点でないことは確かであるが、一先ず部屋には入れるらしい。
敷居を跨いで中に入ると、い草の香りが立ち込めるすっきりとした和室が広がっていた。思った以上に広いそこは、長方形に長い大広間となっており、よく見ると部屋の中央にも敷居があることから、二つの部屋を一時的に繋げているようである。今はお面をつけている為わかることと言えばそれぐらいで、通された後どうするべきか困ってしまう。一方で、途中から冴と一緒に先導していた悟さんは、困った私を笑顔で見つめるのだから意地が悪い。
「さぁて、とうちゃーく! じゃあ敷居の向こう側まで行ったらその呪具とお面取って、皆の任務は完了ってことで」
どうぞとでもいうように”向こう側”を示す悟さんに、驚きと困惑の表情で応える事しかできずにいる。何故ならば、先程確信した通り、この部屋のどちらにしても私が住まう部屋となり得ないからなのだ。こうまで断言できるには理由があるのだが、お面を着けながらも分かることとして、どちらの部屋にも実家にあったような結界の紐や呪符が無いのである。これでは、住まうにしては結界が足りない。きっと、天元様の結界は幾重か張っているだろうから基本的には大丈夫かもしれないが、重要な組紐を使った結界がないのは心もとない。
不安と混乱から動かない私に、周りの術師の方も異変を察知して動くに動けない様であった。悟さんも少し困ったような顔になってしまう。
「大丈夫だって」
信用してくれないの? とでもいう様に、此方を見つめる悟さんのシルエットには、何処か悲しさも漂っている。ここで止まっていても仕方がない、周りの方にも迷惑をかけてしまうのだから。
「止まってしまってすいません」
周りの方に謝罪を述べ、一歩一歩と前に出て、敷居を跨ぎ部屋の中央まで来た。本当に呪具を外してしまうのだろうかという疑問が頭を擡げる中で、悟さんや冴が良かったというような雰囲気を出している。
「じゃあ、さっさとそれ取っちゃおうねー」
余程お気に召さないらしい。悟さんの呪具を取るよう指示する声が高らかだ。四方を囲む術師の方々も、素直に指示に従い何事かを呟いて錫杖から一度手を離す。それらを認めた後に、悟さんが前に立って私の首元に手を伸ばしてきた。すべての動作に息を飲んで見守るしかない私は、最後に首元に触れる悟さんの手に、少しだけビクリと反応してしまうほどである。続いて取られる紙の面にも、松葉杖を持つ手に力が入ってしまったのはここだけの話だ。
緊張からか、ドキドキと心臓が鳴る横で、何でもないように呪術師の方々から呪具を受け取り、「じゃあお疲れ〜」等と言っている悟さんに目を向けた。
「あの……私はどうしたら」
呪術師の方をお送りするため何人かの侍女も去り、この場には悟さんと冴の他二人ほどの侍女のみとなった部屋には、か細くなってしまっただろう声が虚しく響く。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと説明するから」
呪具などを冴に渡すと、余程怯えていたのだろうか、私を慰めるように悟さんが柔く抱きしめてきた。彼が大丈夫だと言うなら信じる他ないし、現状特に問題はないだろうが油断はできないのである。浅くなっていた呼吸を落ち着けるように悟さんをじっと見つめ返す。
「すっごい疑ってるじゃん、取り敢えずこっちの襖から出て。家の中案内するからさ」
入ってきた襖ではなく、今いる部屋に属する襖を指さして、悟さんはスタスタと進んでしまう。冴は呪具を任されたため、この場を離れる様で、私は悟さんについていかざるを得ない様だ。
状況が分からない乍らも、急ぎ悟さんを追おうとすると、視界の端に先程跨いだ敷居に繋がる柱が目に入る。普通の柱であれば何も気にはしないのだが、目に留まった柱は朱色をしていた。
□ □ □
最初に通った廊下を進んだ突き当り、悟さんが鼻歌でも歌いだしそうな勢いで扉に手を掛けている。先程までの襖ではなく、洋風のそれはどうやら横に動くものであるらしい。ゆっくりと音もなく開かれた先には、廊下と地続きの木目の床が広がり、大きな布張りの椅子や棚、横を見れば机に椅子等家具が綺麗に並んでいた。家具は洋風だが、全体的に和を思わせる内装となっている。呪具を取った部屋よりも明らかに広いそこに言葉を失って、またしても入室してすぐに立ち竦む私に、悟さんはじゃーんと腕を広げて見せる。
「ここがリビングでーす! そこの扉の先はキッチンだけど、基本的には冴さんたちが使う用だから名前はコッチで過ごしてね」
「えっと、これからここが私が住む場所ということですか?」
「そうだよ。他にも寝室もトイレもお風呂もあるから後で一緒にみようね」
ワクワクとこの後の予定を語りだす悟さんには眩暈を覚える。どうやら、認識の齟齬があるらしい。私が言っている住む場所というのは、この部屋の中が実家の私室の代りかという話である。悟さんの口ぶりからして、この部屋以外にも設備があるようだ。
「ちょっと待ってくださいね。私はどこかの一室で過ごすのでは?」
「何言ってんの! 僕が狭い部屋に閉じ込めるわけないでしょ」
「ですが、結界は……」
私の戸惑いが伝わったのか、先程の高揚した様子から一転、そっと頭に手を置かれて静謐な目を向けられる。安心させるように置かれた手が、僅かな重みをもって緊張を僅かに紐解いた。
「まぁ、それは追々説明するからさ、今は新居探検しようじゃないの」
後半は、どこか小学生にも思える物言いになっていることにくすりと笑いが漏れてしまう。その自分の笑い声が引き金となったのか、一気に吹っ切れてしまったようだ。
松葉杖を必死で白くなるほどに握っていただろう手が、解けていくのが分かった。ここまできたら大船に乗る気持ちになろうと思い直し、改めて悟さんに向き直る。
「お、ちょっと元気出た?」
にやりと形容したくなるような顔に、揶揄われているのだろうかと考えそうになるが、彼なりの気遣いであることは手に取る様に分かった。質問にはこくりと頷きで応えて、探検の前にと一言添えておく。
「悟さんの事は信用しますけど、今日じゃなくてもいいのでちゃんとお話してくださいね」
「勿論」
自信満々のその言葉に、一先ず意識を周囲へと向けた。
広いリビングに入ってすぐ、真正面には大きなソファと机、壁に張り付くようにテレビが置かれていた。ソファもテレビも初めて見るもののため、悟さんの説明を受けて新しい知識をどんどんと吸収してゆく。きょろきょろとする私を心配してか、右側から介助するように付き添って歩いてくださるので、更に気になったことを聞いてしまうのである。左手を向けば、6人掛けの机と椅子が置かれていて、ダイニングテーブルというものだと言うことも教えて貰えた。今後はあの机で食事をするらしい。
「こんなに広い部屋……いいんでしょうか」
「ははっ、いいの良いの。この方が過ごしやすいでしょ」
凄いという言葉を通り越して心苦しさが顔を出したが、そんな杞憂を指で弾き飛ばす様に悟さんはからからと笑った。元々過ごす世界が違うことは理解していたが、きっと悟さんも普通とは違う場所で生きているのだろう。いつの日か慣れる時が来るだろうかと片隅で思い乍らも、別の部屋へと歩を進めたのであった。
「今度は水回りを見て回ろうか」
先導する悟さんは、私に合わせてゆっくりと進んでくれる。リビングへ来た道を少し戻り右手に見えてきた扉を動かすと、洗面台と棚がみえる。ここは脱衣所で、先の扉はお風呂に繋がっているらしい。この場所も広々としており複数人で利用しても十分余裕があるのだ。白を基調としており、清潔感にあふれるそこをぬけると、大浴場と言って差し支えない場所が広がっていた。
「わぁ……」
檜の香りと広々とした床が見え、壁に沿った所に目を向けると3つほど鏡や台も設置されている。浴槽も縁の一部に多少の段差があるのみで、殆どが床と続いている造りであった。一か所に手すりもあるため、私一人でも入浴がしやすそうだと見て取れる。
「どうどう? 気に入った?」
覗き込む勢いで聞いてくる悟さんに笑ってしまうが、正直気に入るどころではない。こんなに素敵な空間は初めて見たのだ。
「とっても」
言葉少なに、うわの空で返す私にクスクスと笑いながら次に行こー!と浴室の扉を閉める探検隊員は、終始楽しそうである。釣られて体を向き直すが、ふと息が上がっていることに気付いて小さく息を吐きだす。普段動くことが少なかった弊害か、多少疲れが表面化してきたようだ。そんな私に悟さんは目敏く気付くと、瞬時に立ち止まり此方を気遣う目線を寄越してきた。
「大丈夫? いきなりは疲れちゃうかな」
「すいません、こんなに動いたことがあまりなかったので体がついて来れていないようです」
苦笑する私をみてふむと一瞬考えた彼は、何を思ったのか次の瞬間ににっこりと驚きの提案をしてきたのである。
「じゃあ松葉杖は一旦置いて、僕がお姫様抱っこしてあげるよ」
お姫様抱っこというものが何であるかは分からないが、満面の笑顔から私にとって良くない事であることは分かるのだ。たじろいで断ろうとする私をまぁまぁと宥めながら、悟さんは松葉杖を取り上げてしまう。疲れからかふらりとしてしまう体に、つい目の前の大きな体躯を掴んでしまったのは許されたい。一方で、悟さんはこれ幸いと肩に手を回したかと思うと、少し屈み膝裏にも腕が回された。あっという間に視線が宙に浮く。
「まっ、待ってください」
「落とさないって~」
「いえ、そう言う問題では」
よいしょっと、声を出してすたすたと歩く姿に縋りつくしかない。そのままお手洗いや書斎、最後には寝室に案内される。寝室には化粧台や間接照明と共に、大変大きなベッドが鎮座していた。目まぐるしく変わる光景を視界の端で捉えつつも、慣れない空中浮遊に心臓の鼓動が高鳴ったままである。
そんな私を察してか、先程までくるくると観光していたのが嘘のように、静かに寝具の上に下ろされる。
「よし、探検終了! ここで休憩しとこっか」
見回す私を置いて、悟さんは松葉杖を取りに一度部屋を出た。その姿を見送りながら、座っている寝具の柔らかな肌触りに感動をおぼえて、まじまじと布団に目を落としてしまう。ここは主寝室であろうか。悟さんの部屋にしては化粧台があったり、何よりもベッドが大人二人が眠るのに十分すぎる大きさである。自分の考えにまさかとは思いつつ、部屋の造りにずっと引っ掛かりを覚えるのは確かだ。静かに思考の海に浸りながらも、此方に近づく足音を確りと捉えて扉を開けた彼に意識を戻す。
「ここは、悟さんの寝室ですか?」
「そうだよ。名前の寝室でもあるけど」
当然の事の様に言ってのける彼には、もう何を言われても驚かないと思っていた私も多少の動揺を見せてしまう。元々覚悟はしていたが、こうして目の前にして同衾――といっても、以前そう言ったことはしないと言われているので添い寝が正しいのかもしれない――を示唆されると相手が見知った相手だからかドキリとするのだ。
「一緒に寝るのは嫌?」
覗き込むように伺われたが、否と首を振って答える。一瞬別室で寝ることを提案しそうになったが、それは私の羞恥心や未だ不慣れな環境故に来るものだ。本来、一緒に寝ることは何の疑問もない、夫婦なのだから。
「それにしては表情が硬いけど……まぁ、別々に寝るのは最初から却下だから諦めてね」
左側にドカリと腰掛けた悟さんはニヤニヤと笑って、人差し指で私の頬をちょこんと突いてきた。昔に意地悪な人だと評したが、ここ最近は特にそうなのではと久々に思ってしまう。
「悟さん、楽しんでますね」
「バレた? 相当浮かれてるだよねー」
ふくふくと朗らかに笑う悟さんに、降参するように微笑み返した。
これからの生活は予想より更に賑やかになりそうである。