きみの一番深いとこ

きみの一番深いとこ


あれから、何度か訪れるのは硝子さんのみであった。
2週間に一度程の間隔で訪れては、軽い問診のようなものをした後、他愛もない話をして帰っていく。
きっと、探りはされているのだろうが、特に詰問もなければ、硝子さん以外の人間が来ることもなく日々が過ぎていた。
五条さんからの連絡は相変わらずないまま、季節は秋から初冬を越えて、12月も半ばとなっている。
此方から連絡するのも、何か違う気がして、たまに携帯の通知を見るだけにしていたそんな折、久方振りに連絡が入ったのだ。
内容としては、明日この屋敷へ尋ねるとの用件のみの簡素なものであった。
あの日、嘘をついた事への罪悪感から、日々焦燥感に駆られていたが、それも明日で終わるのではという思いが頭を過る。
そこまで考えて、自嘲してしまった……こんな身勝手な話をしたら、きっと五条さんは呆れてしまう。
しかし、私も事実を伝えなければならない。

腹を括って迎えた五条さんは、剣呑とした雰囲気を纏っていた。
「あの……おひさしぶりです」
「外のアレなに?」
挨拶も割愛して、五条さんが親指で襖を指して尋ねてくる。
アレ、と指されているものは、襖の向こうに控える使用人たちの事であろう。
以前であれば、冴を筆頭に侍女が1人ないし2人いるだけであったが、今は部屋を取り囲むように複数人が控えているのだ。
「詳しくは後ほど……」
「まぁ、何でもいいけど」
少し棘のある言い方に、何と言ったものかと困窮したが、口を閉じるに留まった。
その様子をみてか、はぁと吐息を吐いた五条さんは「本題だけど」と口火をきる。
「申し訳ないけど、この数か月来なかったのは」
「私に呪詛師と繋がっている疑いがあったから……ですよね?」
みなまで言わずとも、と言うようにかぶせて言うと、少しニヤリと笑われた。
やはりそうかと思う反面、あの電話での言い方はそうなってしまっても仕方がないと思う。
何より、後々知ったことではあるが、彼は両親も手にかけたそうではないか、私が助かった道理が何であるかという疑問が出るのは自然である。
「最初はね、少し疑ったよ。念のためってのもある。五分五分とは言わないけど、条件に揺れて、その後も連絡取ってたら嫌だろ」
「……それで、どうでしたか」
「真っ白!潔白!面白いほどになにもなし!」
笑いながら降参ポーズを取って結果を報告する五条さんは、元よりわかっていたような言い方だ。
先程の態度もどうやら演技らしいが、少しでも疑わせる要素を残してしまったのは申し訳ない。
あの時は、気が動転していたし、事実、詳細を言うことが憚られたからである。
「それは、良かったです」
「うん、僕も……良かったと思ってるよ」
やっと緩やかな空気が流れ、暫しの沈黙が訪れた。
何から切り出そうかと逡巡していると、五条さんの方から声がかかる。
「で、あの日は何があったわけ」
「硝子さんにも少し話はしたんですが……」
「でも、言ってないこともあるんでしょ」
確信を持って返される言葉に、ぐうの音も出なくなった。
「実はあの日……」



□ □ □



「では、言い方を変えようか……私たちのためにも一緒に来てほしい」
「できません」
一刀両断するように答えるが、この意思は変わらない。
「であれば、実力行使するまでだ」
「この部屋で呪霊を出しても、直ぐに消滅しますよ」
「脅しかい」
「忠告です」
そんな私の返答に、ニコリと微笑み返され、背筋に悪寒が走った。
と、同時に彼の両手の平が開かれ、どろりとした物体が出てくる。
その泥の様な物体からは、目玉がぎょろりと現れ、此方へと視線を向けてくるではないか。
喉の奥で、悲鳴をあげそうになるのをぐっと堪えた。
これは……これが、きっと”呪霊”なのだ。
その瞬間、泥が形作るより早く、部屋を取り囲む紐の一部が、ひゅんと耳元で音を鳴らしたかと思うと、それらに絡みついたのである。
炎が燃え尽きるような音がしたと思うと同時に、形を成そうとしていた呪霊たちは跡形もなく消え去った。
この間数秒にも満たない。
「やはり、この程度の呪霊は一撃か」
想定内だとでも言うような物言いの彼が、余裕の態度を示す一方、人生で初めて”呪霊”というものを目にしたからか、私は声が出せずにいた。
先程、確かに目が合った人外の瞳との記憶がどうしても消えない。息もうまく出来そうにない。
でも、逃げなければ……何処に?そんな疑問が頭の中に木霊して何も考えられなくなりそうになる。
そうして混乱している私を他所に、夏油さんは話を続けるのだ。
「では、一定以上の呪霊はどうかな?それに、呪霊がダメでも私自ら運べばいいのでは?」
いけない。どれ程の呪霊を想定しているのかは解らないが、基本的にこの部屋の結界は予備として備えられているもののため、どの程度の呪霊まで耐えられるのかが分からないのである。
気付けば、何処か屋敷の奥で警鐘が鳴っているようだ。
先程の結界の発動で、屋敷の何処かにこの事態が伝わったのだろう。
但し、通常発動したことはない――と思われる――結界だ、どれ程の人間がこの部屋を目指してきてくれるだろうか?
一番最悪な流れは、外からの侵入だと思われて、使用人たちが屋敷外へ確認へ行くことである。
冷や汗が流れ、少しでも早く誰か来てと祈る中、目の前の彼は、対極の様に余裕すら感じられる表情をしていた。
「あまり等級が上の呪霊で試している時間もなさそうだけれどね」
一応事態は把握しているらしい。

「どうか、お引き取りを」
口にできた言葉は震えて、ちゃんと届いているかも定かではない。
先程の状況と相まって、恐怖に支配されるまま首を垂れる他術はない。
「……」
祈りを告げる私を見下ろして、彼は暫し無言になる。
彼が何を考えているのか、私には分かりかねるし、今は理解しようとしても無駄なのだ。
どうか、この思いが届きますよう……そう祈り続けて数秒、上から声が降ってきた。
「本当は……君に断られたら直ぐに帰るつもりだったんだ」
独白のようなそれに、下げた頭をあげることもできず、静かに耳を澄ます。
まるで懺悔のような声音は、更に彼の真意を読めなくさせる。
非術師(サル)は嫌いだが、君は確かに見える側の人間だったし、友人としてはこれ以上の不幸を味わわせるのもどうかと思っていた」
やはり、着いていけば、呪霊を誘き寄せるために使うつもりでもいたのだろう。
私はきっと、彼の術式の助けになる。
恐怖の合間にも、真綿に絞められるような悲しみが胸を刺す。そんな私を察してか、彼は私の頭にそっと手を伸ばし、こう続けるのだ。
「すまないね、今日は友人の最後の挨拶として帰るよ」
ハッとした。
彼はきっと、次に会った時今回の様に見逃してはくれない。
これは決別の合図なのだ……そう思って、それまで下げていた頭を持ち上げる。
そこには、部屋から去ろうとする夏油傑の姿が目に映った。
私の動作に気付いたのか、それとも気まぐれだろうか、彼は不意に顔を此方へ向け、本当の最後の言葉を残した。
「それと、これ……ありがとう」


去り際に、洋袴を引っ張り上げて露になった裾の下、見えた足首には、以前渡していた組紐が巻き付いていた。



□ □ □



「は?なに、そのまま帰したの」
素っ頓狂な声を上げた五条さんに、少し笑いそうになってしまった。いけない。
笑い事ではないのだ、正直あの日からこの家は気が抜けない。
「私ではお留めすることが出来ませんでしたし……」
「そりゃそうか……この部屋の警備固めてる理由は分かったけど、それ上の連中には言った?」
「いいえ、言えば嬉々として私を囮に使うでしょうから……それにこれは苗字家の失態でもあります。あの紐を渡したのは此方ですので」
「後半はどうかと思うけど、前半には同意見」
人の悪い笑みを浮かべながら言う五条さんに、苦笑が漏れてしまう。
「じゃあそれはココだけの秘密にするとして……最近は眠れてる?」
突然の話題転換だった。
だが、心当たりがある。
硝子さんの来訪初期に、眠れない事を何度か相談していたのだ。
でもまさか、それを聞きに来たのだとでもいうのだろうか?
きっと五条さんは、今の私より大変な時期だと思う。
あれだけ仲が良かったのだから当然だ。
一瞬あっけにとられていると、それをどう捉えたのか、ふと五条さんが立ち上がった。
「硝子には言えて僕には内緒?ここまで来たら観念したらどう」
ゆっくりと近づいて、いつの日かの様に、目の前にしゃがみ込まれる。
「顔色はいつも通りな気がするけど、ちょっとここに隈がある。さっき、冴さんも心配してたよ」
片手を頬に当てられ、親指で隈があるであろう辺りを、優しく撫でられた。

なんだか今までの五条さんではないみたいだ。
そう、何よりもまず一人称が変わっている。
今更ながらに気付いた事実に、この数ヶ月で一体何があったのだろうかと思うが、そもそもの始まりは、その数か月前に大きな変化があったではないか。
夏油さんが離反した事件である。
「何考えてんの、名前」
「あ……え?えっと……」
驚いた。突然下の名前で呼ばれたからだ。
先程までの考えも吹き飛ぶ。
硝子さんの事は確かに下の名前で呼んでいたが、私はずっと苗字だったから。
当たり前だが、一時的な利害関係相手に、親しく名前を呼ばないのは理解していたので、逆に驚きである。
そうして動転する私を他所に、五条さんは私の頭へ手を伸ばす。
「大丈夫、ここに呪霊は現れない」
そう言いながら頭を一度撫でれると、今まで張りつめていた糸がぷつりと音を立てる様に切れたのが分かる。
一粒涙が零れたと思うと、私は”あの時”初めて視る異径のモノに、心底怯えていたのだと実感した。
今更かと思うだろう。しかし、各所対応と緊張の日々、硝子さんにも言っていない最後の夏油さんとのやり取りが、罪悪感となり頭を占める。
それと同時に思い出してしまうのは、目を合わせた呪霊たちだった。
私の中にもあの怪物が居るのかと思うと、怖くて仕方がなかったのが本音だ。
家の者に相談もできただろうが、今、侍女たちは護衛のために交代で見張りをしていて大変なのを理解している。
結果、秘めておくのが最善と考えたのだが、どうやら違ったようである。
「ありがとう……ございます」
「やっぱり初めて視ると怖かったりする?」
捉え様によっては不躾な質問だが、今はその位が有難い。
「命の危機でしたので」
へらりと笑うと、ふむと考える顔をされたのだが、きっと五条さんはそんな事を思う間もなかったのだろう。
「ま、これからは僕も硝子も交代で小まめに顔だすから」
次、硝子に会う時までにはちゃんと寝とけよ、心配してた……そう言って、その日五条さんはあっさりと帰ってしまわれた。
その姿を見送り、久々に自分の足に目を向ける。
未だ怖さは払拭できないが、誰かに話すことは偉大だ。少し心が落ち着く。

その日は、久々に少し長く眠れた。