「は?あんた達手土産とか持ってないの?」
その硝子の言葉が、何故か少し引っかり続けた。
魚の小骨が刺さるようなそれを、改めて考えざるを得ない。
言われれば確かに、そんな事を考えたことがないなと気付かされたのであった。
普段、部屋に籠りっきりの彼女は、何か貰えた方が喜ぶものなのだろうか?
こんな俺でも、奥に眠っている良心からか、そんなことを考えながら一ヶ月ぶりに会う苗字をまじまじと見つめてみる。
彼女は、硝子と楽しそうに会話していた。
硝子はと言えば、俺たちより少し前に用意された席に座り、いつも通りぐだぐだと話している。
そんな硝子に対して頷きを打ちつつ、いつもより自ら会話を振っている様な苗字の姿が印象的だ。
今までであれば、俺と傑が好き勝手話すのを聞きつつ、たまに気になったことや知らないことを質問してきていたように思う。
詰まるところ、基本的には聞き手だったのだ。
それに対し、今日は少しテンションが高い苗字に、俺たちの時と態度違うんじゃね?なんて、心の中で小さく文句を言いつつも、会話には素直に耳を澄ます。
「葵ちゃんは普段何してるの?私らの事って二人から色々きいてるんでしょ?」
「そうですね……本を読んだり、冴や他の者に勉強を教えて貰ったり……他には、たまにお花を生けたり、編み物をしたりですかね」
「古風だね」
全くもって同じ感想がでた。
硝子は悪気がなく言っているのがわかるが、此方としては詰まらなさそうな毎日だなと思うばかり。
苗字は、「そうですか?」などと不思議がっているが、この部屋から出られないから言える事だな、と言わざるを得ない。
「なんか本当に二人が話に来てるの危ない気がしてきた、余計な遊び吹き込んでそう」
「そんな、お二人とも優しいですよ」
こんなやり取りを聞いて、傑と共に偏見で話すんじゃねぇと訴えつつも、硝子にはいなされてしまい意味をなさない。
その後も、なんだかんだと硝子が余計な事を言い出しては突っ込んでを繰り返し、今日はお開きとなった。
□ □ □
「……ちょっと待ってて」
帰り間際。
車に乗り込む直前に、補助監督も含め三人に断りを入れ、車の扉を閉める。
そうして、少し離れた場所にいる冴さんに近づいていくと、彼女は少し戸惑いを見せて、身構える様に肩に力を入れたのがわかった。
それはそうだろう。
普段すんなりと帰る奴が戻ってきたら、俺でも何事かと思う。
「冴さん、突然ですけど、苗字って何貰ったら喜ぶかわかります?」
少し畏まって聞くのは、多少の気恥ずかしさがあるせいだ。
こういうことを人に聞くのは、自分自身でもどうかと思うし、相手は身内同然だから、尚更である。
しかし、あの苗字が喜ぶことなど想像が難しいのが本音だ。
今日一日観察してみたが、あそこまで古風な生活で、部屋から出られない人間が欲しいものなど想像がつかなかった。
だから、冴さんならば、何かしらの答えを持っているのではないかと思ったのだ。
そんな俺の質問に、少しの驚きを見せながら、一瞬視線を左上に向ける。
不確かですがと断りをいれているが、冴さんが言うなら確かでしょと言う他にない。
そんな俺に少し反応を示しつつ、彼女はポツリと言葉を落とした。
「いつも、一週間おきぐらいにお庭の花をお嬢様の床の間に飾るんです。それを見つめて居られる時は、とても嬉しそうですね」
記憶を確かめる様に、少しずつ話す冴さんからは、苗字の様子がありありと伝わるようであった。
「花で喜ぶの?」
「お嬢様は外に出ることが叶いませんから、花で季節を感じておられるんです」
そういって少し綻んだ顔をみせる冴さんに、いつかの苗字の顔を思い出しているだろう事がわかり、興味がわいた。
花何て単純なものでいいのかと思っていたが、確かに苗字にとっては重要なアイテムらしい。
「お嬢様は飾られる花をみて、いつも嬉しそうに質問してくださいますよ」
「どんな?」
「そうですね……お花の名前から始まり、お庭は今どんな風景で、この花はどのように咲いていたか、ほかに色はあるのか……ですかね」
「ふーん……」
冴さんが少し楽しそうに話すほどに、苗字はいつも喜んでいるのが見て取れる。
そんなに喜ぶのであれば、と頭の片隅に確りと記録して、「ありがとう、冴さん」と挨拶し、あとを去る。
「あ、俺がこういう事聞いたの、苗字にもあの二人にも内緒ね」
車を指さして言えば、心得ておりますと言わんばかりの顔で軽くお辞儀をされた。
良くできた人である。
□ □ □
あれから、2週間以上経ち、年も明けた。
年始の煩わしさを振り払う様に、俺は一人、苗字家に来ていた。
それは、ただ親族が面倒で逃げたいだとか、殆んど誰もいないだろう寮に帰るのも如何なものかとか、理由を挙げればきりがない。
ただ、そのなかで苗字の元に訪れることを選んだのは、それ以外にも理由があったからともいえる。
数日前に、苗字家へ訪問したい旨の連絡を入れると、冴さんが迎えを寄越すと申し出てくれた。
その為、いつもは補助監督が運転する車だったものが、今日に限っては苗字家の使用人が運転をしてくれている。
車窓からは、少し雪がちらつくのが見えていた。
暫くして、苗字家に着くと、門のところで冴さんが出迎えてくれる。
新年のあいさつもそこそこに、さて入ろうかという時。
冴さんが、此方の手元に目線をやり、一瞬笑顔を見せたかと思うと、お寒いでしょうからお早くどうぞ、なんて言いつつ中へと通された。
冴さんの笑顔に、なんとも言えぬ気持ちで後に続くしかなく、居心地の悪さを誤魔化す様にはらはらと落ちてくる雪を眺めてやり過ごすのであった。
□ □ □
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとう、今年もよろしく」
此方こそですと綺麗にお辞儀して、苗字は俺を迎え入れた。
「今日はどうかされましたか?なんだかお一人でというのは珍しいので、少し驚きまして」
そういって矢継ぎ早に聞いてきた苗字は、どこか落ち着かない様子を垣間見せる。
今までは、最初の条件を守るための様に月に一度きり、しかも傑と共に任務と称して来ていたので、驚くのも無理はない。
先に済ませてしまおうと、後ろ手に持ってきていた荷物を手に、今までくぐることのなかった敷居を跨ぐ。
まさか近づくとは思っていなかったのだろう、苗字は多少の動揺を滲ませて此方を静かに見つめていた。
不思議そうな瞳に笑いを零しながら、しゃがんで目線を同じにする。
「はいコレ」
目の前に差し出したのは、数本の梅の枝。
まだつぼみも多いが、簡単に包装をしてそれらしくしてある。
「まぁ!素敵ですね……頂いてよろしいんですか?」
「もっと豪華な花束のがよかった?」
少し意地悪く笑って聞き返すと、「そんなことないです」なんて言ってそっと受け取ってくれた。
壊れ物を扱うように抱きかかえる苗字に、気恥ずかしさが少し増す。
こんなものは気まぐれなのだ。
気まぐれの上に、俺らしくないとは思っている。
だからこそ、一人で来たのである。
だが、そうしてまで渡してよかったとは思えた。
今も、まじまじと梅の枝を見つめては、そっと花弁に触れて楽しんでいる。
「ありがとうございます、あとで飾りますね」
嬉しそうな顔をこちらに向けた苗字は、どうやら少しでも外の世界を感じられたらしい。
そんな姿を見ていたせいか、つい余計なことを考えてしまった。
「また、持ってきてやろうか」
言ってから、柄ではないのにと後悔しても遅い。
チラリと視線を逸らせて、無かったことにしようかと考えている俺を、苗字は一瞬驚いた顔で見つめてくる。
しかし、彼女はすぐに顔をにこやかに変えるのだから、二の句も告げない。
「やはり、五条さんはお優しいですね」
そう言われればなおの事だ。
「……別に?こんなのただの偽善かもしんねーだろ」
この話はこれで終わりとでも言うように、ひらひらと手で示せば、苗字は静かに視線をまた花へ戻し、「それでもですよ」と聞こえるか聞こえないかの声で答えるのだった。
「じゃ、俺帰るわ」
その声にも聞こえないふりをして、別れを告げる。
やはり、慣れない事をするものではない。
「もうですか?」
「今日はこれだけ……なに、寂しいの」
仕返しの様に、にこりと笑って挑発してやれば、くすくす笑いながらいいえと否定してくる。
ほんと、苗字は押しても引いてもこれだから、”柳に雪折れなし”というやつだな、などと感心してしまう。
いい意味で毒気を抜かれてしまうのである。
「あっそ、まぁいいや」
「引き留めてしまって申し訳ございません。お暇な時で構いませんので、またお越しくださいね」
「……んじゃあね」
どれもこれも気まぐれだ。
次はもう少し香りのする花でも買おうと思う。