問いには何も答えられない私に、五条様は静かに笑顔を向けてきた。
「別にずっとって訳じゃない。俺が高専を卒業するまで、それまでの期間限定の契約……ってのでどう?」
気楽に考えてよ。
そんな風に言われては、少し揺らいでしまう。
此方としては、元々の交換条件ですら我儘を言っているようなものであるし、その条件すら本来であれば半年から一年の期間で考えていたのだ。
「あの……余りにも五条様への負担が大きいのでは……」
「さっきも言ったけど、こっちにも見合い回避のメリットがあるんだよね。それに、老人どもの掌の上で踊るのなんか絶対イヤなわけ」
にべもなく一蹴されて、やだやだとでもいう様に手を振られてしまえば、こちらも何も言えなくなってしまう。
いいのだろうか……?
ふと頭を擡げるのは、今までこうあれとして過ごしてきた日々だ。
両親からは、可哀想だが将来決められた方が現れたら、そのまま結婚となってしまうと聞かされていた。
子供の頃は多少の反発もあったが、今では自分の役目を受け入れている。
結局は選ばれた誰かと結婚する事になるとは思うが、少しの猶予で何か……何かが変わるなどということがあるのだろうか?
ぐるぐると思考が乱れてゆく。
一方で、何よりもこの様な好条件なお話に心が揺れるのは確かであった。
私としては、次の候補の方――揉めるだろうから、少しは時間がかかるとみている――との正式な婚約までの短い期間でも、お二人とお話しできれば良かったのである。
自分本位かもしれないが、生まれた時からこの部屋を出たことがない上に、この家に同年代の来訪者は居なかったため、私の願いとしては、その点が叶えられれば良かったのだ。
「悩んでるみたいだけど、早く決めないと冴さん戻ってきちゃうよ」
此方を見据える瞳が、ちらりとサングラスの隙間から覗いている。
ずるい方だな、と素直に思った。狡いけれど、お互いに我儘を言っているので、或いはその方が良いのかもしれない。
「先程のお話、お受けいたします」
「よし、契約成立……じゃあ、”共犯”だ」
少しお道化る様にしてから、目の前にあった幾つかの紐を潜り、すとんと私の前にしゃがんでくる。
そうして、「よろしくね、苗字」などと挨拶しながら手を差し出された。
「はい、お願い致します」
そっと差し出した手は、柔く握られる。
そういえば、初めて家族以外の異性の方に触れるかもしれないな、と頭の片隅で思う。
触れた手は、ぬるい温度を伝えてきた。
□ □ □
「聞きましたよ、悟と婚約したらしいですね?」
あの日から丁度一か月後、五条さんと夏油様は約束通り、当屋敷に訪れてくださった。
一ヶ月の間に、五条家――正確には五条さんだろう――が動いたらしく、上からの話も特にない。
お父様やお母様からも、私へは特に何か話があるわけでもなく、いつも通りの日々が繰り返されている。
次会える際には、五条さんにお話を伺わねばと思っていた……しかし、先に私の両親と話があるとのことで、私の部屋には夏油さんが居られるのみである。
「はい……あの、その事なのですが、婚約のこともあって、色々と状況が変わりました……五条さんには定期的に来ていただくことになるかと思いますので、夏油様は約束を破棄していただいて構いません」
「嗚呼、そのことを確認したくてお話を振ったんじゃないんですよ。ただ、私ではお力になれなかったので少し気になっていたんですが、悟が居るなら安心だなと」
「いえ、お心遣いありがとうございます」
「元はといえば、私のことも考えて動いて下さったお話ですし、お邪魔でなければ私も此方に来ようと思っているんです」
どうでしょうか?と、柔和な笑みを浮かべて聞かれてしまえば、是非お願い致しますと返す他ない。
五条さんと同じく、夏油様もなかなかに掴み処がない御方だなと考えさせられてしまう。
「それと、私のことも様なんてつけなくていいですから、好きなように呼んでください」
これから暫くは交流があることを見越してか、夏油様は朗らかに提案して下さった。
「まぁ、それではお言葉に甘えて……でしたら、夏油さんも呼び方や話し方を普段通りにしてください。五条さんの様にしゃべって頂ける方が、私は嬉しく思います」
折角の同い年なのだ、余り距離感を感じるのは好ましくない。
それに、私としては、己の身分など微塵も高いとは思えないのである。家柄的にも、御三家に血縁者は多いのだろうが、それまでだ。
「そうですか?……では、改めてよろしく」
「はい、よろしくお願いいたします」
こんなやり取りにさえ、少し浮かれてしまう。
お上りさんにならないように気を付けないと……なんて、少し冗談を考える程だ。
「苗字さんは、しゃべり方変わらないんだね」
「私は両親にも敬語ですので」
そんな取り留めのない話をしていると、微かに横の廊下から足音が二人分聞こえてきた。
どうやら、彼方の話は終わったらしい。