「確かに気色わりーね」
「悟……」
「ふふっ……良いんですよ、それが正常な反応です」
そういって口火を切った五条に対し、苗字は静かに笑いながら、ふと伏し目がちに諦めにも似た顔をのぞかせた。
そのままするりと足を撫でる様は、厭に憂いを帯びた雰囲気が漂う。
彼女の出自を考えれば、確かにそう思う人間もいただろう。だからこそ、本人も致し方ないと思っているのだ。
自分に非など無いのにである。
「気色悪いのはあんたの先祖の話だよ、あんたは別に呪霊とドウコウなろうって訳じゃないんだろ」
「……五条様はお優しいんですね」
にっこり、心得たりといいたそうな顔で笑った苗字。
それを受けて、夏油はやれやれと顔をにこやかにし、五条は言うんじゃなかったとため息をつく。
三者三様に一息をついて、少し場が和むのを感じた。
今になって、外からの鹿威しの音がよく響く。
「まぁ、そんなならここに着いたときから幾つか通り抜けてきた結界術にも納得……んで、その話して俺らに同情をかって欲しい訳?」
「それなら的外れということになりますよ」
勿論、夏油も援護射撃を忘れていない。
2人は、各々がそんなものには絆されないことを重々承知しているのである。
重ねて、元より断りを入れに来たのだ。
今更そんな話を聞いたところで、意見を変えるつもりはなかった。
その事実を知ってか知らずか、彼女は「それもありますが……」とおどけるように言いながら改まる。
「お二人からの破談を受ける代わりに、条件がございます。」
□ □ □
まずは私について、もう少し詳しくお話ししましょう。
そういって、居住まいを正した苗字に、それを制するように五条は手を翳した。
相手のペースにのせられてばかりでは、此方の判断材料がなくなってしまう。
「その前に、いくつか聞きたいんだけど……数代前……正確な数字だともっと前だと思うけど、そこまでは特級被呪者だった……ってことは、今は違うってことだな?」
「ええ、お祖母様の代までは一級被呪者でした」
「おや?それでは、貴女は……」
夏油は、少し見定めるような目を投げ掛ける。
彼女は、何も嘘を言っている様には見えなかった。
しかし、本題はそこではないのだろうことは表情を見て取れたからである。
彼女は嘘をつくようには見えないし、ついてもあまりメリットがなさそうなのだ。
それは、会って数刻も経っていないがひしひしと伝わってくる。
「私も本来であればそうでした……しかし、産まれながらに右目を盲いておりまして、こちらの天与呪縛の影響で呪力量が肥大化し、特級に逆戻りです」
「先程からお話ししている最中も、そちらは見えているように見受けられましたが……」
「それは嬉しいですね。この目は特注品でして……皆様からは本物の目の様に見えているだけです。もしかすると、視ることならばできるかもしれませんが、この屋敷にいる限りそれも判りかねます」
苗字は朗らかに笑い、目は物静かに瞬きを繰り返す。
宝石を嵌め込んだようなそれは、全てを見透かしているようで、その実なにも映すことの出来ないガラス細工であった。
「この特級の括りも、きっと同じようなことがない限り私の代限りでしょう、次に生まれる呪いの子は1級か或いはそれ以下……だからこそ、今の呪術界の上としてはみすみす逃せない存在なのでしょうね」
まるで、その事実が他人事のように語る様は、己を削ぎおとしているようで、何処か伽藍を思わせた。
「んで、俺か傑との子供を産ませようって?それこそきっしょく悪いことこの上なくてゲロ吐くね」
ベーと舌を出して大仰にする五条に、同感だと夏油は頷く。
碌なものじゃない将来を約束させられた苗字にも同情はする。
しかしこちらとて、そんなもの知ったことではないと言いたいものだ。
「ご安心ください、上の狙いは五条様ではありません」
きっぱりと捨て置かれる五条に夏油は笑いが込み上げた、先ほどまで当事者面をしていたのが間抜けである。
それが顔に出ていたのかジトリとにらまれては、両手を挙げて降参するしかない。
「上としてはより優秀な子供を呪術界に残し、且つ、私を通してコントロールしたいのでしょう。また、現在優秀とされる呪術師の中でも、未婚者で私と近い年齢であるお二人は、まずどこかで名前が挙がります……しかし、五条様は私でも知り得る程に上の方々とは相容れないようですね?」
「まぁね」
不貞腐れた五条は、明後日の方向を見ながらにべもなく答えた。
「しかも、今御三家には五条様に連なる程の同年代の方が居られないとお聞きしております。そんなところへ私が嫁ぐと、更に五条家が力を持ちすぎてしまう可能性が高い。ならば、早々に顔合わせのみ行い、本人が嫌がれば良し……そのまま話が進みそうになっても、私の方から辞退するよう圧力をかければその状況を回避できると考えているのだと思われます」
苗字はそこで一息つき、夏油へと目を向ける。
それまで、どこか蚊帳の外の気分でいた夏油は、俯瞰的でいた意識にピントを合わせた。
「更に、御三家以外の呪術関係の家系に最初で最後かもしれない特級被呪者の私をやるよりは、夏油様の様な一般家庭出身者の方が善いと考えているのでしょうね……私たちは同い年でもありますから、年が近く、五条様からお相手を変えても不自然に思われません」
「これはこれは、大役を負わされそうになっているのかな?」
そうですね、と独り言ちて苗字はすまなそうな顔をする。
「苗字家としては、代々立候補となる方はたいてい一人ですし、呪術界での力もさほどないため上の決定には基本的に従順に従う倣いとなっております……しかし、私としてはお二人の願いを叶えたい」
確かめるように目の前の二人を其々見渡して、台本をなぞるように口にする。
「五条様から今回のお話を断ったとて、上としては嬉々として受けるのみでしょう、元々破談を目的としているので意味をなしません。夏油様は後ろ楯もなく難しい……ですので、此度の縁談は苗字家で上層部に掛け合います」
きっぱりと言い切った苗字の顔は、まるで元よりこうなるとわかっていたように、いっそ清々しいほどだった。
こうなることが予め解っていて、だからこそ選んだ道だとしか思えない。今は正に、苗字名前の手中なのだ。
「そして、ここからが本題です。代わりといってはなんですが、1ヶ月に一回程度でいいので、この部屋にお話に来てくださいませんか?先程も話した通り私はここから出ることが叶いません……外のお話をお聞きしたいんです」
上の腐った連中は、まさかこの女がここまで見抜いて、行動すると思ってもいないのだろう。
どうやら本当にただの言いなりではないらしい。
しかし、真剣に見つめる表情は、どこか今までよりも幼さを垣間見せた。
来た時の面倒さは薄れ、この台本の続きが少し気になったのだった。