晩霜者たち
「生1つ、あと……」
「メロンソーダで」
食べ処”小鳥箱”内、テーブル席から男女の声が聞こえる。片方は目の下に濃い隈、もう片方は白髪に漆黒のサングラスをかけていた。
家入硝子と五条悟である。
店員が食べ物も一通り聞き終え席をたつと、一瞬の間をおいて目線が交差する。
「で? サシで飲もうなんて相当珍しい」
「こういうのも良いかなって思ってさー、仕事も一段落したし」
「ふーん」
興味のなさそうな家入の声を遮るようにお通しが運ばれてきた。
そこからは、暫し無言。お通しに手を付け、メニューを捲る音だけが響く。
この空気に耐え切れなかったのは五条である。手元のメニュー表を見るともなく見つめたと思えば、5秒後には興味無さげな家入へと目線を移動すのだ。
落ち着かなさと目線での無言の訴えはしかし、家入への効果は薄いようであった。意に介さない同僚に痺れを切らしてつい口を開いてしまう。
「名前から何か聞いてる?」
「……それが人に物を聞く態度?」
やっと再度交わった目線は、不機嫌さを携えてジトリと見返された。
「スミマセンデシタ、教えてください」
「ま、いいけどさ」
「どっちだよ、さっきの謝罪返せ」
そう文句を言った声は、飲み物を届けに来た店員により遮られてしまう。但し、文句の声は届いていようといまいと家入には1ミリも響くことはないだろうが。
更には、家入がビールのジョッキを軽く掲げて五条に向ける。無言での乾杯に話を逸らされたような気になった五条は、渋い顔をして気持ち程度に自身のジョッキを掲げた。
「その視線やめて。飲むのぐらい待てるだろう」
「へいへい」
まるで不貞腐れた子供である。
こんな態度も高専時代からの付き合いでは慣れたものだ。無視をしてサクサクと飲み進めて行く家入は、ビールを半分ほど飲んだあたりでふっと一息ついた。
「名前に何か言われたの?」
純粋な疑問だと言わんばかりの口調は、一方で五条を責める様にも聞こえる。
「……逆、何も言われないと言うか、何かありそうだけど言われてない」
「名前らしぃー」
「ってか、硝子は何処まで名前からきいてるの」
「どこ……」
弁明でもなく質問を返された家入は、はてと視線を上に向けた。この男に何処まで伝えていいものか。逡巡はすれど、ここで駆け引きをするのも面倒になり簡潔に要点を整理する。
「告白して、両想いになれて、未だ距離感が変わらない」
指折り数えて伝えると、最後の言葉にほんの僅か反応を示してまだあまり品物が運ばれていない机に突っ伏する五条がいた。
「っはー……だよねぇ」
「同調が欲しい訳じゃないんだけど」
はぁ、と溜息を吐いて止めていた手を動かしビールを煽った。この男は解っていて対応をしていないのである。
それが分かればもう私の出番は要らないのではないか?
家入は頭の片隅でその結論を出しつつも、追加で運ばれてきたアテに手を付けた。きっとこの場は五条の奢りだろうと考えると、気のすむまで飲み食いはしてやろうと考えたのである。
しかし、その態度がつぶさに伝わったのか、五条は目敏く体を起こし、メロンソーダ片手に下手な絡み方をし始めた。ここで話を終わらせるまいという気概が感じられる。
「最近うちの奥さんがなんか言いたそうでぇ~」
「はぐらかすなら帰るぞ」
「主婦の井戸端会議の再現じゃん」
「五条の坊ちゃんが主婦の井戸端会議なんか知らないだろ」
想像位はできるよ、と小声で文句を言って手元のジョッキを抱えつつじっと炭酸が弾けるのを見つめている。
「……大事にしたいんだよ、焦る必要も何も無いし」
ぼそりと呟かれた言葉は、危うく周囲の喧騒にかき消されそうな程であった。
自身に言い聞かせているようなそれは、やっと問題に向き合っている事が伺えて、家入はやれやれと目を向ける。
本人にちゃんと向き合う気があるならば、此方も多少は向き合わねばという様に軽く吐息をつく彼女は、見るともなく天井を仰いでから言葉を紡いだ。
「名前曰く、余りにも態度が変わらないから愛情の形が家族愛に変わってそうだってさ」
「もう酔ってる? 友達の秘密簡単にゲロってるけど」
「こうやってゲロって欲しくて呼んだんだろう。それにこれは名前のためにもなるからいいんだよ、結局は辿り着く答えだし」
なんか文句でもある?
そう物言う視線は、当然のことをいったに過ぎないと言わんばかりにふいと外された。
彼女の中では伝えるべきことは伝え終わったのか、手に持っている徳利の残りをぐいと口に含む。
「文句ナイです硝子様」
「私から見れば五条が名前の事好いてるのは分かるけど、普段の五条を知らない名前からすると不安にもなるさ」
だからこそという訳では無いが、友人の肩を持つのだと彼女は語る。
家入の言うことも最もだ。しかし、五条はそれを踏まえた上で思うところがあるのか、壁に背を預けて考え込むように口をへの字に曲げた。
「こんなことここで言うのもどうかと思うけど、人の想いっていう形も量も測れないものが相手の想像や許容のできる範囲内かなんてわからないだろ。伝え方を誤ると凶器にもなるものだったら、時間をかけても然るべきだと思うね」
「何でもいいけど、相手が不安に思うぐらいならちゃんと伝えた方が手っ取り早いと思うけど」
「ハハッ、善処するよ」
乾いた笑いである。
伝える気がなさそうなのがありありと伝わり、この男の厄介さを際立たせた。
だからだろうか。それを見咎めた家入は、薄く息を吐いて自身の目の前の食べ物にのみ視線を向ける。
「……五条の好きはさ~、暴力だよね」
脈絡なく呟かれた言葉は、五条に向けている様でその実独白めいていた。
しかし、流石にこれには口をはさみたくなると言うもの。五条がなにそれと言おうとした瞬間に、わかっていた様に手で制される。
「ごめん間違えた、台風かも」
否、それも間違いなのだが。
五条は口から出かけた言葉を一旦飲み込み、彼女の続く言葉を待つことにした。
「何がなんでも、名前を自分の人生に巻き込んでやるぞって動いてる……気付いてない?」
質問するようでいて此方の回答を求めていない口ぶりである。
「名前はさ、気付いてないよね。いや、気付いてない振りかな……どっちにしろ気付かない方が幸せなんだけどさ」
言葉の内容は突き放すようだが、友人を思っての温かさを持っているのが伝わる口調だ。家入なりに名前を思ってこうして言葉にしているらしいことは五条に伝わった。
「なら余計に伝えちゃ駄目デショ」
「でも、今回は例外だと思うからその気持ちを言葉に出せばって思ってるよ」
「ふーん? ……まぁ、言わぬが花ってのもあるけど」
口をとがらせてフライドポテトをちびちび食べる五条は拗ねた子供のそれだ。真意を突かれたからというよりは未だ迷っているに近い。
呆れた家入は大きなため息を吐いてビールを飲み切った。
「ねちねち絡んできて天邪鬼な奴だな。勝手な私の意見だから気になるなら無視しろ」
「見捨てるなんてひどいっ!」
「ちゃんと相談のっただろ。五条もちょっとは真面目に向き合えばいいのに」
向き合うべきは五条自身か、はたまた友人に対してか。どちらにも受け取れる言葉は、ある意味で試す様でもある。
「真面目には向き合ってるよ。でも、それとは別に名前には誠実に接したいの」
宙を見上げてひとりごちた。
後ろにやった手に体重をかけて、薄く息を吐いては物思いに耽る。
「高専の頃だって散々女遊びしてたくせにどの口が誠実だなんてほざくんだか」
一方で、同級生は手厳しく過去を掘り返した。
それを掘り出されると大変胃が痛くもなるもので、泣き真似せざるを得ない。
「だってぇ……多感な時期に好きな子は居ても手が出せなかったんだもん」
「キッショ」
痛烈な一言は心の底からであることが伺えた。
「硝子からすれば許せないかもしれないけど、名前への気持ちは本物だからね?」
言うわけもないと思うが念のため、下手な事を名前へといわれる前に釘は指しておかねばと五条は前のめりになった。
ここは重要な箇所なのである。
「本物でもなんでもいいから今後は大切にしろよ」
今後はというよりも出会った時は別にしてもずっと大切にしているのだが。
喉まで出かけた言葉は、名前を想っているとわかる家入の表情でぐっと奥へと押し込める。
代わりといっては何だが、これだけは言っておこうと満面の笑みで紡ぐ。
「勿論、だって唯一好きになった女の子だからね」
対面からはなんとも言えない吐息が聞こえた。