つむぎ星
「名前さん」
未だ幼い声が後ろから呼びかけた。
目の前では、女中2人と広げた色とりどりの浴衣や薄物が広げられており、見た目からして涼し気である。
それらを吟味していた手を止めて振り返ると、そこには扉の陰から半身を出して此方を伺う声の主がいた。
「あら、恵くん……どうされました?」
「津美紀が呼んでる」
きっとリビングだろう。
部屋に広げたものと、女中に目を向けて去る前に一声かけておく。
「では、残りはお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、奥様」
言いながら私を介助してくれる彼女たちには、本当に頭が上がらない。
お礼を言ってから、恵くんに先導されつつリビングへと向かう。私の様子を伺いながら先を歩く彼は、この家に初めて宿泊した際に比べてかなり心を開いてくれている。
最初は恐々していた彼も、何をきっかけにしたのか次の日には声をかけてくれたので、無理をさせない程度にお話をしていたら今では普通に接してくれるようになったのだ。
姉の津美紀さんも可愛らしくて、いつも楽しくお話をさせてもらっている。
現在は夏休みという期間らしいが、以前より長期間の休みとなるらしく、今回二人が宿泊する間にも悟さんは任務が入っているので、三人での生活も随分慣れてきたところであった。
「あ、名前さぁん……」
「悩ませてしまいましたかね」
リビングの扉の先には困り顔の津美紀さんと、津美紀さんに子供用の浴衣や薄物を添える冴たちがいた。
張り切って選んでいる大人達の一方で、中心に立つ彼女はおろおろとしてしまっている。
というのも、今朝こっそり彼女から相談された内容がそもそもの発端であった。
□ □ □
「あの、明日友達と夏祭りに行こうって言ってたんだけど、お家の近くまで連れて行ってもらえますか」
「あらあら、それは大変……私はこのお家から出られないんですけれど、運転手の方を手配しましょうね」
朝ご飯の後にソワソワしているのでどうしたのだろうと思ったら、なんとも可愛らしいお願いについ頬が緩んでしまう。
夏祭りというものに参加したことが無いので、どういったものかわからないが、楽しみにしていることがひしひしと伝わった。此方まで心待ちになるほどである。
「運転手さんはここに来るときの人?」
「そうだと思いますよ、他にも一人女中をつけましょうか」
「ううん! 大丈夫!」
何故か焦ったような返答をする津美紀さんだが、もしかしたら付き人という存在は慣れないものなのかもしれない。
「そうですか?」
「うん! ありがとうございます、名前さん」
一応確認は取ったが、必要ないのであれば彼女の意思を尊重しようと思う。
変な親心をそっと仕舞いつつ、今後の心算を立てていると、ふと気になる事があり視線を宙から恵くんへと向ける。
「そうだ、恵くんも夏祭り行きます?」
「いい」
「では、明日のお夕飯は一緒に食べて、津美紀さんが帰るのを待ちましょうか」
簡素な答えに彼らしいと笑顔を向けつつ、予定を確認する。恵くんは、それにこくりと頷いて答えてくれた。
そうと決まれば早速行動だと、冴を呼んで明日の手配をお願いしたのである。
それが、どうして今につながるのか。
答えは簡単なのだが、手配をした後の冴がふと「津美紀様は浴衣など着られますか?」と零したところから始まる。
彼女としては、明日の予定を立てる際に着替えの時間も考えなければならないから当然なのであろう。
「きない、です」
「お祭りって、浴衣を着たりするんですか?」
何処か歯切れが悪い津美紀さんを不思議に思いつつ、根本的に話についていけていなかったため冴に質問をしてしまった。
「はい、そういった方たちも居られますよ」
にこやかに答える冴に、成程そういう文化があるのかとまた一つ勉強になる。普段から着物を着る生活をしていると、お祭りだから和装をするという事が分からなかったのだ。
私が静かに納得していると、横からくいっと服を引っ張られる。何かと思えば、恵くんがじっと此方を見つめる瞳とかち合った。
「……津美紀、浴衣持ってないだけだよ」
「恵!」
焦ったような津美紀さんに、そういえば二人は洋服ばかりであったと合点がいく。
「急には仕立てられないのですが、私の子供の頃のもので良ければ直ぐに用意できますし、持ってきて頂きましょうか」
にっこりと笑いかけると、顔をほんのり赤らめて口籠る津美紀さんが目に映った。
これはきっと着てみたいのではないだろうか?
誠に勝手ながら、用意できる限りのものを実家から取り寄せてもらおうと、隣に控える冴に追加で依頼をする。そうすれば、彼女も浮足立って了承してくれたのである。
困りながらも私の提案を受け入れてくれた彼女は、そうした紆余曲折を経て今まさに、急遽取り寄せた私の子供時代の浴衣や薄物をどんどん勧められているのだ。
夏祭り当日だと言うのに取り寄せすぎてしまったかもしれない。
「名前さん、多すぎて迷っちゃう……」
「では、いくつか気になったものだけソファに並べましょうか」
津美紀さんの頭を一撫でして、冴達にも号令をかけた。
と、同時に、斜め後ろに目を向けて、静かに様子を伺っていた恵くんの頭にも手を伸ばす。
「恵くんも、良ければお姉さんに似合うもの一緒に選んでくださいませんか?」
「……別にいいけど」
「ではお願いいたします」
なんとも子供らしくない恵くんに、微笑ましさを感じて目を細める。
彼の言動にも助けられたので、何かお礼をしなくては……心の隅で思いつつ、いくつかの柄を吟味してゆくのであった。
「いってらっしゃいませ」
恵くん達と送り出した津美紀さんは、満面の笑みで可愛らしい柄を揺らしながら出かけて行った。選んだ柄が笑顔に映えて、私自身も大満足である。
一仕事終えたと達成感から安堵の息が漏れるが、本日の仕事はここでは終わらない。恵くんを一時リビングに残して、キッチンに入る。
料理番の方にいくつかお夕飯の相談をして、何食わぬ顔で再度リビングに戻るのだ。
戻った先に居た彼は、昼間にリビングまで持ってきていた荷物をごそごそと探っている。
「この後は何をします?」
「宿題がまだ残ってるから、ちょっとでも進めておく」
テキパキと準備を始める姿は、見習いたいほどである。
津美紀さんにも少々突き放すような物言いが見受けられた彼は、私にも同様の態度で接してくる。反抗期というやつなのかもしれない。
こういった方にどう接することが正解かは分かりかねるが、津美紀さん同様に可愛らしいお客様なので、できうる限りでおもてなしをしたいのである。
「そうですか……あの、お邪魔でなければ少々拝見してもよろしいでしょうか」
じっと私を見つめる視線は、何を探ろうとしているのかは分からなかった。
だが、静かに待つと是という返答が帰ってくる。喜んで隣に腰を下ろし、書物を見ているとなんだか親子の様で楽しくなってきた。私にもし子供が出来たらこのような感覚なのであろうか。
考え事をしつつ、その後幾つか恵くんにお勉強の内容を質問されながら時間が過ぎていく。
その日の夕食は、お祭りに行かなかった恵くんへと夜店で定番らしい焼きそばや唐揚げ、デザートにはりんご飴を出して貰った。
私自身が初めて食べるものばかりで、言葉数は少ないながらも楽しい食卓であったことに間違いはない。
帰宅した津美紀さんにも、ついお話してしまったほどである。
□ □ □
「……名前」
軽く揺らされる感覚で意識が覚醒する。
朦朧とする意識の中で、先程自分の名前を呼ぶ声が悟さんの声だということを認識して一気に瞼が押しあがった。
はっとして上を見ると、此方を覗き込む悟さんが肩に手を掛けてきていた。横を見ると子供たちが疲れ果てて寝ており、少しずつ記憶がよみがえる。
どうやら、子供たちがテレビを見たいと言っていたので、一緒に見ているうちに三人で寝てしまっていたらしい。
居住まいを正していると、悟さんは持っていた紙袋を机において、代わりとでもいう様に二人を抱え上げた。
唸りながらも半覚醒な子供たちを一度に抱える軽々とした動作に驚いていると、「それ、ちゃんと肩にかけておきなよ」と顎で指されてしまうではないか。素直に下をみると、膝に夏用のブランケットが掛けられている。
冷房がかかっている室内であるから、体を冷やしすぎないようにとのことだろう。
此方も静かに従って、戻ってくるだろう悟さんを待った。
「お待たせ」
扉を開けるとともに、先程は潜ませていた声が今度は明瞭に響く。
改めて顔を見て、少しの申し訳なさを感じながら笑顔を見せた。
「おかえりなさいませ、すみません……どうやら寝てしまっていたようで」
「ただーいま。二人の子守りしてくれてたんだもん、疲れたんでしょ……こっちこそ急にごめんね」
「いいえ、楽しく過ごしておりますよ」
「今日は津美紀の浴衣選んであげたんだって?」
「私が昔着ていたものですけれどね」
耳が早い悟さんは、既にご存知であったらしい。
隣に座った彼を少し見上げると、楽しそうに笑って先程机に置いた紙袋に手を伸ばしていた。
「後で写真みせて……っと、そんな二人のことみてくれたお礼に、今回はこれでーす」
「出張のお土産、ですか?」
そうだよという応えに、心が躍る。
結婚して、この家に住むようになって更に、悟さんが出張に行った時のお土産を頂くことが増えたのだ。
家から出られない私を思ってか、定期的に食べ物を中心に買ってきて下さるのである。
今日はどんなお土産であろうか。ワクワクとしながら紙袋から包装された箱を取り出す。
「奥州ポテト……美味しそうですね!」
包装紙に書かれた文字を読み上げ、頬が少し緩んだ。
「今から食べる? 因みに僕は食べまーす。あ、二人には別で買ってあるから」
「では、一つだけ」
「お茶入れてくるから待ってて」
出張帰りにも拘わらず元気な受け答えをする彼だが、あまり無理はしてほしくはなくて立ち上がろうと杖を探した。
しかし、目敏く気付かれ後ろから肩に手を掛けられてしまう。目で制されるとはこの事だ。
こういう時の悟さんは引くことが無いので、苦笑しつつまたソファに深く腰を下ろした。
そうして、暫し休息をとるように瞳を閉じると、庭の水琴窟の音がか細く聞こえてくる。静かな夜だ。
昼のにぎやかさは何処へやら、使用人たちも基本的には近くに控える事もなく、ここ数日の目まぐるしい出来事を1人思い出していた。
緩やかな空間と日中との差に、先程まで遠ざかっていた眠気がそろりと近づくのを感じる。
「名前」
足音に全く気付かなかったので、近くで呼ばれた事に驚き、はっと肩を揺らしてしまった。
「ごめんごめん、よっぽどお疲れみたいだね。これ食べたら歯磨きだけしてすぐ寝よ」
苦笑する彼は珍しい。私自身は、言われるほど疲れていたつもりはなかったのだが、普段の生活に比べると活動的であったようである。
素直に是と答えて、悟さんの手から暖かいお茶を受け取った。
緑茶の良い香りと、その温かさで多少は眠気が遠ざる。目の前に出された、お皿に乗った可愛らしいお菓子もさらに眠気を遠ざける手助けになる。
フォークで小さく分けたお菓子を、一口頬張る。優しい甘さに笑顔がこぼれた。
「明後日もちょっとした任務があるんだけど、それは近場だからお土産はスタバね」
私が嬉しそうにしていたからであろうか、見かねた彼が次のお土産の話をし始めた。
しかし、これまた聞きなれない単語である。
「すたば……」
「新作フラペチーノが美味しいの。夜までに帰れるから恵たちの分も買ってくるよ」
「はい、楽しみにしていますね」
すたばというものが何かは分からないが、悟さんが購入してくるものはどれも美味しいので、明後日は子供たちと心待ちにしていよう。
決心をした2日後、華やかな飲み物がいくつも並べられた机の上に、三人で目を輝かせたのは言うまでもない。