結んで、ほどいて
「はい、これ」
シンプルでつるりとした器械が、五条の手から手渡される。
先月の宣言通り、五条は苗字に渡す携帯電話を持って訪れてきた。
来訪早々、部屋の結界内に入る五条を見上げていると、唐突に差し出されたのである。
受け取った苗字は、物珍しそうにまじまじと手元を見つめている。
「開いてみて」
「えっと……はい」
戸惑いを見せながら、恐々と携帯を開く様は、一緒に来ていた家入にも微笑ましさを感じさせた。
五条も同様に感じてか、少し笑顔を見せながら目の前に座る。
「硝子も苗字に教えてやってよ」
部屋の結界外、いつもの場所に控えていた家入は、ゆっくりと立ち上がった。
五条に言われたからではなく、可愛い友人のためにである。
「はいはい……これ潜っていいんだよね?」
「あ、はい。大丈夫です。呪霊さえ入らなければ何も起きませんから」
「この部屋の特殊な結界ってやつ?」
「そうですよ」
日常会話のように繰り広げられる特殊な内容も、この二人が笑顔で話すと、そういうものかと思えてしまうのだから面白い。
五条がコッチと指差す、苗字に向かって右側――苗字の左側――に腰を下ろし、そんな二人を其々に見つめる。
「で、何処から教えればいいの」
「苗字は、取り敢えず俺らと連絡取れるようになるのが目標な」
「お電話ですか?」
先程開いたままの携帯を、両手の平に納めて、此方を不思議そうに向く。
苗字としては、固定電話の子機を更に小さくしたような認識なのだろう。
「じゃあ、取り敢えず電話から」
家入はそう言って、自分の携帯を取り出し、自身の番号を表示させると、画面を苗字へと向ける。
「この番号を打ってみて、その後に、こっちの受話器が斜めになってるボタンを押すの」
真剣にレクチャーを受ける苗字は、幼さが前面に出ていて、新しい顔を覗かせていた。
五条からすれば、幼児に対するそれとでも言おうか、可愛らしいという感想がでてくるのだ。致し方無い。
そんな彼をしり目に、2人は携帯のレクチャーを進める。
「こうですか?」
「そうそう」
苗字がポチポチとボタンを押し、一拍置くと、何処からか流行りの着メロが軽快に流れた。
家入はごそごそとカーディガンのポケットを探り、自身の携帯を取り出す。
未だメロディーを奏で続けるそれは、家入が通話のボタンを押すことで静かになった。
「もしもし」
一連の動作を見続けていた苗字の横で、家入は電話をとる。
そんな彼女を見たまま、どうしたらと困っている苗字が新鮮だ。
「苗字、持ってる携帯耳にあてて」
促されるまま、見様見真似。素直に耳にあてて、再度家入へと視線を送る。今度は困ったような視線だ。
「「もしもし」」
すぐ隣からと、自身の耳から、両方から聞こえたのだろう、「ちゃんとお電話できました」と少し得意げにしているのが、教える側としては面白い。
その後、五条とも通話して、それぞれの番号を電話帳へ登録したり、メールアドレスを登録したりと、登録方法を教えていれば、忙しなく時間が過ぎて行くのだ。
「今日はこのくらいね」
「お、もうこんな時間」
気付けば日暮れ近くで、全てを教えきれた訳ではないが、お開きにしようという話になった。
今日できた事と言えば、本当に基本的な携帯電話の使い方のみである。
それでも、苗字にとってはとても有意義で、楽しいひと時だ。
「本日はありがとうございました」
携帯電話を両手で包み、大事そうに胸元に持って、深々とお辞儀する苗字は、心の底から感謝を伝える。
本来想定していたよりも、更に広い世界を運んでくれる友人達には、感謝してもしきれない。
触れようとも思わなかったモノに触れさせてくれるのである。
余り、外を知りすぎるのは良くはないのだが、こんな機会を逃せば、もう訪れないだろう事はわかるのだ。
そんな苗字に、家入はチラリと五条に目線を向けたかと思うと、何事もなかったかのように別れの挨拶を唱えた。
「こっちも楽しかったから、お互い様」
「次来るときは傑も連れてきて、メールの使い方教えるからな」
続く五条の言葉に、”めーる”という新たな課題が加わっていて、楽しみなのも去る事ながら、夏油さんもくるのだということも楽しみになった。
やはり気がかりな友人の顔は一目見ておきたいものなのだ。
「楽しみですね」
にこりとほほ笑んで、その日はお別れをした。
□ □ □
肌寒さを感じるようになった今日この頃。
先月の顔ぶれに加えて、五条さんの宣言通り、今回は夏油さんも来てくれた。
久々に会う友人は、前に見た時より顔色もよく、何処か気が抜けたような風体だ。
元から飄々としていそうと言われたらそれまでだが、それにしては雰囲気が以前と違うような気がしたのである。
いつの日かの五条さんを想起する。
「やぁ、最近来られて居なくてすまないね」
苦笑を滲ませて挨拶する彼に、いいえと答えて着席を促す。
他の2人は既に座っていて、習うように夏油さんも座ってくれた。
そんな彼の様子を見つめながら、何を聞けばいいのかと暫し逡巡していると、先に口火を切ったのは、夏油さんの方であった。
「聞いたよ、悟に携帯貰ったんだって?」
「! ええ、そうなんです」
予想外な話題に、一瞬返答が遅れるが、それも大事な用事であったと思い出す。
元々気になった話題は、この場に相応しくないだろうし、私が何かを言える立場の話でもない事が解るからだ。
余り、人の内面に触れそうなことは言わない方がよいという思いもある。
そんな心慮から、振られた話題に素直に答えた。
先月、五条さんと硝子さんからは連絡先を教えてもらったが、夏油さんは未だなのだ。
お二人のどちらかから教えてもらうことも出来たようだが、こう言ったことはご本人の了承の下で直接教えてもらいたい。
「今日までも何度かお二人とはお電話していて……良ければ、夏油さんの連絡先もお教えて頂いてもよろしいですか?」
その言葉に、予想通りとでも言う様な笑みをたたえて「勿論」と返答を貰い、初めて自力で夏油さんの連絡先を登録するという作業に取り掛かる。
夏油さんの携帯の、赤外線通信ができる場所を教えてもらい、先月五条さんたちに教えてもらった、手持ちの携帯の赤外線の場所を翳すのだ。
少しすると、お互いに連絡先の交換が無事完了する。
「苗字さんが携帯を使ってると変な感じがするね」
無事交換できたことにほっとしていると、目の前の夏油さんから素直な感想を言われてしまった。
横では、五条さんや硝子さんも同意するように首肯している。
「やはり、似合わないでしょうか?」
未だ不慣れなため、覚束なさがそうさせるのかと心配になったのである。
しかし、どうやらそうではない様で、軽く頭を振って否定をされた。
「なんだか、この部屋の中の空気感に携帯がまだ馴染んでないだけだよ」
「でも、操作はスムーズになってる、やるじゃん」
「どこ目線?」
三者三様に話をしていて、いつにも増して賑やかだ。
そんな三人を見ていると楽しくなって、つい笑い声が漏れてしまう。
「何笑ってんだよ」
五条さんにも小突かれてしまうのだから、これはいけないと気を引き締めた。
今日は、”めーる”というものも教えてもらう事を忘れてはいけない。
3人も先生がいるというのは、なんとも学びがいがあるなと心の中で独り言ちる。
「何でもありません、それより、今日はめーるを教えて下さるんですよね」
「そうそう、丁度だし傑とメールしたらいいんじゃねーの」
そういって私の手元を見る五条さんは、傑の連絡先だしてと画面を指さし、早速教える体制である。
それに倣って、此方も意識を切り替えて画面に集中をし始める。
夏油さんは楽しみだなと見守りの姿勢にはいり、硝子さんは五条さんと私のやり取りにたまに声をかけてくれた。
四人でワイワイとやり取りをしながら、少しずつ操作法を覚えてゆく。
ボタンを複数回押して、五十音を繰り出す方法が少しずつ身についてきた頃、やっと一通のメール作成が完了した。
「そしたら、画面に”送信”って表示されてるでしょ?そこと同じ位置にある下のボタン選べば送れるよ」
硝子さんの説明に、順を追って確認するようにボタンを選ぶ。画面の中では、手紙が動いていく様が表示されていて、送信中の文字が躍っていた。
送信完了の表示から一拍して、夏油さんの携帯が震える。
「届いたね」
手元の携帯とは違い、画面部分が上に動いたかと思うと、下から数字のボタンが出てきた。
携帯にもいろいろなタイプがあるのだ……と心の中で驚いていると、それが顔に出ていて可笑しかったのか、五条さんに笑われてしまう。
恥ずかしさに軽く咳払いをすると、そのやり取りに、夏油さんまでクツクツと笑い声を出してしまったではないか。
「二人とも、その位にしたら?」
困り果てている私を助けてくれたのは硝子さんである。まさに、鶴の一声。
「名前ちゃんもこんなクズども気にしなくていいからね」
「い、いいえ!私も呆けてしまっていたので」
顔を中心に体が熱くなるのを感じて、片手を扇のようにして熱を逃がしたくなってしまう。
そんな私を想ってか、硝子さんは話題を変える様に「取り敢えず」と言葉を続けた。
「次は私にもメール送ってね、待ってるから」
そういって微笑まれて、嬉しくない人が居るだろうか?
楽しみを胸に、はいと答えていると、今度は横から五条さんが割り込んでくる。
「硝子の前に俺に送れって、そしたらこの前言ってた写真返信するから」
その言葉に、もう何方に送ればいいのかとおろおろしてしまうと、夏油さんと硝子さんが何やら顔を見合わせて、「すねなくてもいいじゃんね」と言っているではないか。
拗ねる……と、疑問に思って暫し思考停止してしまう。
仲間外れに感じたのだろうか?ちゃんと五条さんにも送るつもりではいるのだが……と、心の中で言い訳をして、断りを入れなければと居ずまいを正す。
「後でお二人にすぐお送りしますね、ありがとうございます」
その私の言葉を受けて、硝子さんなどは「有耶無耶にされてやーんの」と五条さんを揶揄ってしまった。
五条さんが応戦し、そんなつもりではと私が慌てふためくまであと数秒。
□ □ □
初冬にメールのレクチャーを受けてからというもの、三人とはそれぞれにメールのやり取りをするようになっていた。
頻度は数日に一度で返しているので、そこまでご迷惑にはなっていないと思う。
“普通”を知らないので、判断が難しいが、きっと大丈夫であろう。
そうして、約束通り、五条さんからは沖縄の海や空の写真を受け取った。
元来、余り外のものは見ないようにしていたのだが、画面越しに見る初めての海には、つい感嘆の声が漏れたのは、致し方ないと言えるであろう。
詳しくは聞いていないし、写ってもいないが、五条さんや夏油さん、星漿体の女の子はこの海を直に見たのかと思うと、少しの羨ましさが募る。
多少の羨望と、風景への感動を胸にしまい、お礼を伝えると、それ以降三人から、自分たちが写る写真や、任務先だという風景が稀に送られてくることがあった。
外への憧れが募らない程度に見たそれらは、しかし、普段頻繁には会わない友人の顔を思い出として残しておくこともできるため、つい眺めてしまうものでもある。
写真の良さを知れたのはいい経験だ。
そうして、やり取りを重ねるうちに、日々は過ぎ去り、年は明け、春を迎え、初夏も間近になっていた。
随分と馴染んだ携帯と、指の動きに嬉しさも一入である。
五条さんは、相変わらず毎月の花束を忘れずに手にして来訪して下さる。
硝子さんも、2~3ヶ月に一度は訪れてくださり、話に花を咲かせていた。
夏油さんはと言えば、あれからもやはり忙しい様で、硝子さんよりも見かけることがなくなってしまった。
メールでは比較的早い返信が来るので、特に心配はないのだが、前までよく顔を見ていた人が来なくなることは寂しいなと思ってしまうのが人の常である。
それに、まだ三年生に進級したお祝いも直接は伝えられていなかった。
我儘かとは思うが、仲良くしてくださっている方への情があるのは致し方ない。
何処かで伝えられないだろうかと思いながら、会う機会が伸びていくのであった。
心残りがありつつも、呪術師の繁忙期である初夏を超え、遂には9月を迎える。
――・・・あの日は、まだ、残暑を感じられたように思う。