立ちのぼる音

立ちのぼる音


「そういえば、苗字って携帯持ってないよな」
向かい合って座っている2人の前には、朝食がのった御膳の台が向かい合っていた。
朝食は湯気が立ち上り、穏やかな時間を物語る。
五条は既に、体を清め、小紋に袖を通した後だ。
布団も片付けが終わっており、扉の向こうに侍女長である髙塚冴が控えるのみである。

「携帯……ですか?」
「そ、携帯電話……知ってる?」
「見たことは、ありませんが……」
「成る程そのレベルね……なら今度持ってくるからそれ使って」
唐突な申し出に、苗字は面食らった顔をして一瞬の戸惑いが見えた。
しかし、五条はそれに気付いて居ないのか、はたまた気付かぬ振りをしているのか、食事も話も滑らかに進んでいく。
「はい……あの」
「あ、理由?まぁ……俺達と連絡が取りやすい。これでどう?それに、態々冴さん介さなくてもやり取りできるし、写真も送れる……ってかここって携帯使えるよね?」
「……多分、問題ありません。此処は呪術高専と同じく、天元様のお力を使った結界を何重にも張っているいるだけなので……この部屋は、高専のモノとは違い当家がかけた結界ですが、用途としても通信を遮断するようなものではありません」
「うん、なら決まり。任務の流れで沖縄に行ってきた時写真とったんだよね。その写真送るから楽しんで」
いつも以上に饒舌だ、と苗字は思った。

夏油さんや硝子さん曰く、普段は殊更饒舌らしいが、私の家にくると比較的静からしいのである。
初めは、私と喋ることを最低限にしたい――嫌われている――のかと思っていたが、喋ると笑顔を見せてくれるのでそうではないとわかった。
その普段と比較して、今日は空元気とでも言うのだろうか?……気分が高揚しているかのように先を読んで話を進められる。
何だか此方まで浮き足立ちそうで、はいと返事をしながら、見るともなく両手で包んだ湯飲みの温かさに意識をやった。
そうして逡巡した後、五条さんの湯飲みが殆んど空なのを見咎め、思い立って襖に近付く。
「どうかした?」
……近付こうとしたが、五条さんに引き留められてしまった。
本当は近付かなくても良いのだ。
少し、この空気を変えたかっただけなのである。
「いえ……冴、お茶をお願いできますか」
居ずまいを正す私に、襖の向こうから「はい、只今」と声がかる。
直ぐに急須を持った冴が部屋に入り、それぞれの湯呑みにお茶を注いだ。
再び、静寂の中に食事の音が響く。
冴も用事を済ませたら、また静かに退室してしまったので尚更である。

閑話休題。
五条さんの様子だが、相変わらず多少の違和感を感じる。
そんな風に考えていると、目の前から音が途切れた。
「ご馳走様」
気が付けば、向かいの食事は空である。
五条さんは一息ついた後、先程のお茶をゆっくりと飲むところであった。
「さっきから見すぎだよ、苗字。穴が開いちゃいそう」
「っ……すいません」
なんだか居た堪れなくなって、手元に湯呑みを引き寄せた。
お道化たように言う姿は、徐々にいつもの五条さんになりつつある。
その雰囲気に合わせる様に、私もお茶を一口飲んで、ほっと一息。
と、クスクスと笑い声が聞こえる。否、押し殺せていないような笑い声だ。
目の前にもう一度視線を向けると、五条さんが笑っている。
「苗字って、案外普通の反応するよな」
そういった時には、もういつもの通り。

……やはり、五条さんの昨夜からの雰囲気は、相当にお疲れだった所為なのだろう。



□ □ □



夏の前に起きた出来事から少し経ち、あの時の出来事が嘘のように日々が過ぎていった。

あの後の五条さんと言えば、再び高専に呼ばれたとかで、早々に立ち去ってしまったのだ。
勿論、突然の来訪時の出来事については、やはり覚えていないように見受けられた。
あれは、誰を想って、何かあっての行動なのか?
そんな疑問は、月日が経つたび、考えてもどうしようもない事だという思いが募り、考えるのを止めることにした。
きっと、五条さんにとっては、――例え覚えていても――大した出来事ではないのであろうと悟ったところが大きい。

そして、季節は秋から冬に差し掛かろうとしていた。
あの特異な出来事があった月の翌月を除き、また毎月のやり取りは繰り返される。
「こんにちは、五条さん」
「先月振り」
少し変わったところがあると言えば、先月から夏油さんが来られなくなったという事ぐらいだ。
元々、夏油さんにとっては面倒な事だったであろうし、来訪がない分には構わない。
確かに少しの寂しさはあれど、人はみな外界に楽しみを持つだろうし、それはそれでよいのである。
ただ、五条さんの雰囲気を鑑みるに、何かあるのではと推し量ってしまって、如何にも気になってしまうのだ。
「今月も夏油さんは来られないんですね」
「なに?あいつに来てほしかった?もしかして惚れてるとか」
気になるからと突いたらいけなかった様で、揶揄いの言葉が返ってくる。
此方の反応を楽しむようなそれに、少しの笑いが浮かんでしまった。
「いえ、夏頃に一度会ったきりでしたから」
「今日も任務で行けないってさ」
ごめんって謝っといてだって、そういってこの話はお終いとばかりに別の話題に移ってしまった。
夏に会った時の夏油さんは、あの日の五条さんのように、何処か雰囲気が少し違った気がして、如何にも気になってしまう。
私の立場で何を言えるのかと思うのも事実だが、何処かでお話はしたいと思うのだ。
でも、これはきっと、我儘な話なのだろう、そう胸に仕舞い込むことで、自分を納得させた。
「来月は硝子がこれそうだって、良かったね」
「本当ですか!楽しみです」
「ははっ、無邪気」
硝子さんが来られると聞いて、一転して浮かれてしまう自分には、流石に苦笑いである。
しかし、会える人には会える時に。
私のこうした自由な時間も、きっと後二年もないだろうから。

五条さんとの契約は、彼の学生期間だけのものだが、最終学年ともなれば半年以上は結婚に向けて本格的に動きださなければならない。
そうなれば、この契約も終わりだ。あちらも誤魔化しがきかなくなる。
雲行きが怪しくなれば、五条家も早く次の候補者をとなるだろうから、苗字家……というより上層部の人間たちはまた私の相手で揉めながらも、一年以内には相手が決まると予想できる。
そうなったら、今度こそ五条さんにも夏油さんにも硝子さんにも会えなくなるのだから……。

「来月もおいしい御茶請けを用意しておきますね」

そう答えた時、少し思いを馳せていたのを悟られたのか、五条さんから心配そうな目が向けられた。
それには何でもないというように、視線を逸らして答える。

逸らした先には、今日貰った白いダイヤモンドリリーの花束が優しく見つめ返していた。