花海とねむる
「冴、いけませんよ」
襖の向こうから澄んだ声が聞こえた。
「お嬢様……しかし」
「良いのです、お忙しい中ご足労頂いたのですから……襖を開けてください」
冴と呼ばれた女が堪えるようにして襖へ近づく。
ゆっくりと開かれる襖の向こう……
そこは、異様な部屋であった。
部屋の四辺全て、隣の隅の柱から柱へと赤い組紐のようなものが不規則に其々垂れ下がっていた。
紐の間には、結び目があるものや札がついている箇所がある。
そんな部屋の中央。
そこに声の主はいた。
彼女は、豪奢な着物に身を包み、ひじ掛けにしなだれかかるように体を預けていた。
この部屋は屋敷の中央に位置し、周囲を部屋に囲まれていることもあり、室内は日の光が届かない。
……にも関わらず、髪は色素が薄いのかさらさらと煌めき透けるようだった。
更に、常人とは違う色味を湛えた瞳は、髪と同じ薄い色素の睫毛に縁取られ、此方をじっと見つめていたのだ。
「お初にお目にかかります。第30代苗字家当主、苗字 名前と申します。本日、体調がすぐれないのでこのような体勢で申し訳ありませんが、ご容赦くださいませ。」
静かに頭を下げ、こちらを見つめる瞳をじっと見つめ返す。
「……ザ・箱入り娘って感じ」
ぼそっとこぼせばまたあの冴という女が「貴方ね……っ!」と顔を赤くする。
「冴、冴落ち着いて?事実なのだから……すみません、えっと……どちらが五条様でどちらが夏油様でしょうか?」
天然なのだろうか?
少し困った顔をしてこちらを交互に見る瞳に、先に反応したのは傑だった。
「これは失礼しました。私が夏油傑です。よろしくお願い致します。」
「ウエェー!お前さっきまであんなに嫌がってたのによくそんな笑顔見せられるな?調子良すぎだろ」
「挨拶ぐらいまともにできないのか?」
「あ゛?」
にこやかに自己紹介する傑に嫌悪感をあらわにしてしまったらこれだ。
返しの言葉を投げかけようとした一触即発の折、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
「……すいません、フフッ、仲良しなんですね。」
朗らかに笑った彼女に毒牙を抜かれてしまう。
なんだか馬鹿らしくなってきたので、2人で静かに目を見合わせてしまった。
そんな俺たちに目もくれず、彼女は状況を整理していくのだ。
「ということは貴方が五条様ですね。お二人ともよろしくお願い致します。」
□ □ □
側仕えだろう冴がお茶を持ってきたのを見届け、下がるよう指示を出した後、本題と言わんばかりに彼女がスッっと真剣な顔をした。
い草の香りと茶の匂いが立ち込める静寂の中、その佇まいはぴたりと空間に当てはまり、境界を曖昧にする。
馴染みすぎているほどに、この部屋は彼女を綺麗に”包み込んで”いるのだ。
「もう、お聞きになっていると思いますが、本日お呼びするに至ったのは、私……苗字 名前とお二人のどちらかが婚約……ゆくゆくは婚姻を結んで頂く為に来ていただきました。」
「それについて、はっきり言って難しいのはわかるけど、断ることってできる?」
因みに俺ら二人とも。
間髪を入れずに聞き返す。
先程の女――苗字――の雰囲気からして先手を打ってみようと思ったのだ。
「……お二人次第、ですかね。」
にこりと笑って返してくる苗字に、ダメ元でも言ってみるものだと思う。
同時に、その回答になかなかの性格をしてそうだとも思った。
丁度お話ししようと思っていたので、説明させていただきますね。と、彼女は静かに始める。
「まず、大前提として、この苗字家についてはご存じでしょうか?五条様は御三家なのでご存じかもしれませんが、夏油様は一般家庭のご出身とお聞きしております。少し長くなりますが、お付き合いをお願い致します。」
傑も先程から彼女がただの言いなりの娘ではないと気付いたからか、にこやかに是と返していた。
正直俺も詳しくはない。静かに首肯をして促す。
ゆっくりとした時間をなぞる様に、苗字は自身の足へと目線をのばした。
その先には、この部屋の襖が開かれた時から見えているモノがあったのだ。
「先程から皆様が気になられているこの足も含めて、お伝えしなくてはなりませんし……」
横に揃えている足の片方、襖が開かれた時から見えていたそれは黒檀の色をしていた。