なめる白露

なめる白露



その女は豪奢な着物に身を包み、ひじ掛けにしなだれかかるように体を預けていた。

室内は日の光が届かないにもかかわらず、髪は色素が薄いのかさらさらと煌めき、常人とは違う色味を湛えた瞳は、鼈甲を思わせる虹彩をキラリとさせて此方をじっと見つめていたのだ。

その様が、今でも鮮明に記憶に刻まれている。



□ □ □



「悟、遅れるよ」

傑の声で微睡んでいた意識が浮上する。
「なに?どこか行くの?」
本当は解っていて、からかうように言葉を紡いだ。

「相変わらずなのは良いけど、今日ばかりは感心しないね」
「……へいへいいきますよ」

余りにもあきれた顔に、渋々重い腰をあげるしかない。

呪術高専一年の夏。呪術師たちが忙しい季節だというのに、その日は任務と称して二人にとある家への呼び出しがかかっていた。


端的に言えば、政略結婚の為の顔合わせである。


「ほんと、よくこんな時期に古くせぇことするよな」
「口が悪いよ……何より上からの指示だ。顔合わせぐらい穏便に終わらせた方がいい」
「どうせ傑も断るつもりなんだろ?それなら意味ないじゃん」
「……だとしても、だよ」

傑はそういって呆れたように苦笑を漏らした。
俺はやれやれとジェスチャーを交えながら重い腰をあげるのだ。

「悟は”こういうこと”慣れてるんだろう?」
嫌みが混じっている気がする。
「……断り方は自分で考えろよ」
吐き捨てるように答えるしかなかった。


勿論、今までにも幾つかの縁談は経験していた。なんといっても御三家である。

その全てを悉く断ってきたが……

今回はそれが少し難しい”家”だということを承知していたのだ。


気が向かない。
心のなかで一人ごちて隣をみると、同じような顔がそこにあった。
二人してやれやれとしながらも、送迎のための車に乗り込む。
一応任務と銘打たれているため、運転手は補助監督が担当していた。
なんと形式ばった茶番劇だろうか?上のものたちは余程暇らしい……と、笑いが込み上げつつも、ゆっくり流れる車窓を何とはなしに眺めて思いを馳せる。



高専から出て、ほんの十分~十五分程だろうか?



目的の家はそこにあった。



五条家程ではないが、かなりの土地を思わせる塀と、古めかしい門が見えていた。
勿論母屋の屋根は見えないままだ。
補助監督が門の横で車を止め、「着きました」といって外へ出てしまった。
門を越えてからは徒歩なのか……と考えると少しうんざりするが、仕方がない。

うだる暑さの中へと二人で飛び出ると、補助監督が急かすような目線で待ち構えている。
それに倣って、門へと歩きだすが、歩くにつれやはりなと思わせるものを感じた。

古めかしい木製の門扉の前にたつと重々しい扉が少し開いて中から女が顔を覗かせる。
すかさず補助監督が、「私は車を停めてきますので」といって扉の中の女に俺達を引き継ぐ。
仕方なく二人でこの家の使用人と思われる女に続いた。

門を潜ると、石畳の道が日本家屋の建物まで続いているのだろう……周りに樹木が生えているが、少し折れ曲がった先に開けた空間がチラリと見える。
樹木のお陰で日陰の道となっているため、茹だる暑さはましではあるが、大変面倒であることに代わりはない。

「こんなくそ暑い時に俺達を呼び出すとか、ほんと何様だよ」
「悟、いくら面倒だからって本音をそのまま言うのは良くないっていつもいっているだろう」

つい漏れてしまった愚痴に、毎度のごとく自然に追い討ちをかけてくる傑には笑ってしまう。
案内役の女が此方を少し見据えてきたが知ったことではなかった。



□ □ □



道中散々文句を言っていたからか、案内役の女の顔がどんどん苛立ちに変化していたのには更に笑ってしまう。
そんな俺を見て、傑はやれやれとしながら含み笑いをしている。
お前ずるいぞ。

そんなやり取りを目でしていると、苛立っていた女が徐々に足を緩める。
やっとたどり着いたかと思えば、屋敷の中枢付近にまで案内された様に思う。
ここまで何度か曲がった後に直進できた廊下の突き当り、T字路になっている先には襖がみえていた。
T字路の突き当りまで来て、左右を見渡せば少し先でそれぞれ俺たちの進行方向と同じ方向へと伸びていることが見受けられる。
つまりこの部屋を囲うようにして廊下があるように推察できる造りだ。
大層な造りである……こうでもしないといけないようだ。

使用人の女は、立ち止まり横にそれると、
「先程の運転手の女性は別室へご案内し、お話が終わり次第私が再度案内致します。まずはこちらで少々お待ちください」といって襖を開けた。

そこには、六畳の部屋が広がり、二つ座布団が中央付近に置かれているばかりで、奥もまた襖が見えた。
仕方がないのでそれぞれが腰を下ろし、胡坐の上で片肘をつきながら、一緒に部屋に入ってきた女をジトリと見やる。

「俺ら二人をこんだけ待たせるとかとんだ根性してるね」
肘をついてとどめの文句を言えば、遂に女が切れた。

「先程からなんなのですかその言動は!お嬢様も上からのお達しで急なことだったのです!此方にすべて非があるわけでは……」

顔を真っ赤にして怒り出す女だったが、その時襖の向こうから声がした。

「冴、いけませんよ」